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四夷

しい
名詞頻度ランク #3007 · 青空 11
1
標準
Four Barbarians (non-Chinese peoples bordering ancient China)
文例 · 用例
鮑刻本は明板本を宋本にて校したる者によりたるが、四夷部倭國の條は、明板の粗惡殊に甚しく、鮑刻本は又之を汲古閣本の三國志にて校改したる跡ありて、校宋本として取るべき處殆ど之なく、我が活字本の影宋本を墨守せるに如かざるなり。
内藤湖南 卑彌呼考 青空文庫
四夷を平らげ、天下を治め、兵農を分ち、悪銭を禁じ……と来たまではよかったが、楊貴妃に鼻毛を読まれて何でもオーライで、兄貴の楊国忠を初め、その一味の碌でなし連中をドンドン要職に引き上げた。
夢野久作 ドグラ・マグラ 青空文庫
從つて遠人を懷柔し、四夷を咸賓せしむることは、支那皇帝たる者の一の必要な資格とさへ認められた位である。
桑原隲蔵 大師の入唐 青空文庫
天樞の正面には、武后の親筆で大周萬國頌徳天樞の八字を刻し、その周圍には、この計畫に贊成した百官及び四夷諸酋長の名を刻した。
桑原隲蔵 大師の入唐 青空文庫
天子守在四夷とか、王者不治夷狄とか、彼等は消極退守を以て、無上の安全策と信じて居る。
桑原隲藏 秦始皇帝 青空文庫
* 謨罕默徳新舊の『唐書』を始め、杜佑の『通典』、賈耽の『四夷述』等すべて囘教の教祖マホメッドを稱するに一律に摩訶末の字面を用ゐる。
桑原隲藏 創建清眞寺碑 青空文庫
この文句は唐の賈耽の『四夷述』に本づき、もと隋の開皇年代に於ける大食國の有樣を敍述したもので、毫も支那と大食との交通に關係ないのであるが、之を誤解若くば牽強して、隋の開皇年間より隋と大食との交通開け、囘教も亦この時より支那に傳來したといふ説の行はるるに至つたのは明以後のことである。
桑原隲藏 創建清眞寺碑 青空文庫
この泰初と仲哀天皇崩年との間において、馬韓がしきりに晋と交通した記事が『晋書』〔四夷伝〕に見える。
喜田貞吉 石上神宮の神宝七枝刀 青空文庫
作例 · 標準
古代中国の王朝は、自らを文明の中心とし、周囲の四夷を服属させるべき対象と見なした。
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史書には四夷の風俗や朝貢の記録が詳細に記されており、当時の国際情勢を物語っている。
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王朝の衰退とともに、北方の四夷が国境を越えて侵入し、帝都を脅かすようになった。
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ウィキペディア

四夷(しい)あるいは夷狄(いてき)は、古代中国で中華に対して四方に居住していた異民族に対する総称(蔑称)である。四夷は漢民族(漢人)側から周辺の他民族への呼び名(蔑称)とするのが一般的だが、近年の研究(謝小東の遺伝子調査を含める)の結果、これまで考えられてきた漢民族の定義自体が名目上(中国的正統主義による考え)であった可能性が出てきている。

出典: 四夷 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0