宣統
せんとう
名詞
標準
Xuantong era (of emperor Puyi; 1909-1911)
文例 · 用例
もと支那の皇帝であられた宣統帝は、今では何の収入もない境ぐうにいられる中から、手もとにありたけの一万元を寄附された上、今後の生活費として売りはらうつもりでいられた高貴な宝石、道具二十余点を売って十五万元のお金をよこされました。
— 鈴木三重吉 『大震火災記』 青空文庫
川島は満洲朝の滅亡と共に雄図|蹉※し、近くは直隷軍の惨敗の結果が宣統帝の尊号|褫奪宮城明渡しとなって、時事日に非なりの感に堪えないで腕を扼しているだろうが、依然信州の山河に盤踞して嵎を負うの虎の如くに恐れられておる。
— 内田魯庵 『二葉亭追録』 青空文庫
その一つは宣統帝の御物、今古奇観と云ふ画帖の中にあつた。
— 芥川龍之介 『支那の画』 青空文庫
------------------------------------------------------- 一 最近の新聞紙の報道によると、支那の宣統〔前〕帝は、宮廷所屬の宦官の不埒を怒り、彼等を一律に放逐して、爾後永遠に使役せぬといふ諭旨を發布されたといふことである。
— 桑原隲藏 『支那の宦官』 青空文庫
清太祖でも先年退位された宣統帝を見ても後といふことを非常に重大に考へて居られる。
— 桑原隲藏 『支那の古代法律』 青空文庫
宣統初年わたしは当地で某中学の校長を勤めていたが、同僚には嫌われ、官僚には警戒され、終日|氷倉の中に坐っているような、刑場の側に立っているような憂鬱さを感じたが、実は何をしたわけでもない、ただ一本の辮子がなかったからだ。
— 魯迅 『頭髪の故事』 青空文庫
かゝる反對論が矢釜敷かつたから、折角出來た新刑法も再び修正を加ふることゝなり、遂に宣統元年正月を以て「惟是刑法之源。
— 狩野直喜 『支那近世の國粹主義』 青空文庫
第七章 革命 宣統三年九月十四日――すなわち阿Qが搭連を趙白眼に売ってやったその日――真夜中過ぎに一つの大きな黒苫の船が趙屋敷の河添いの埠頭に著いた。
— 魯迅 『阿Q正伝』 青空文庫
作例 · 標準
宣統帝の治世は、清朝末期の混乱期にあたる。
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宣統年間の歴史書を読み、当時の社会状況を学んだ。
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この骨董品は、宣統時代に作られたもので、非常に貴重だ。
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ウィキペディア
宣統 は、中国の歴史で、清朝の最後の皇帝である愛新覚羅溥儀の治世に使われた元号である。1909年から1911年。清朝は一世一元の制を布いていたため、溥儀を宣統帝と称することもある。なお、モンゴル語では、ケブト・ヨス と言った。
出典: 宣統 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0