下放
かほう
名詞
標準
movements for sending young people to the countryside in China (1937, 1957, 1968)
文例 · 用例
齊の桓公は、その嬖臣易牙の調理して進めた、彼の子供の肉を食膳に上せて舌鼓を打ち、晉の文公は、その天下放浪中、食に窮した折柄、從臣介之推の股肉を啖つて饑を凌いだ。
— 桑原隲藏 『支那人の食人肉風習』 青空文庫
権三、わかるか」「…………」「それから次の文句には賞ハ、卑賤ニ依ラズ、一切仔細ニカカハラザルコト、同前ナリ つまり凡下放埒でも、坊主でも武士でも、敵味方なく、正成の首さえ持ってくれば、その日から船井ノ庄一郡の地頭にしてやるというお布令だ。
— 八荒帖 『私本太平記』 青空文庫
朝の山道櫻間中庸朝ぎり 流れる山のみちほのぼの――草つぱ ふんで足のつゆしつとり――蝶々は ねてるねむの葉にひつそり――匂ふよ ほうら栗のはなほんのり――ほういと呼んでる誰だろかほうい と――きりに吸はれて細いこゑほうい と――
— 櫻間中庸 『朝の山道』 青空文庫
いつ見ても来た時と同じ様な色どりの四方を眺めてゐると何だかほうとして日のうつるのが、もどかしくなつて来ます。
— 折口春洋 『島の便り』 青空文庫
なんかほうつたのか?
— 三好十郎 『捨吉』 青空文庫
そしてまた、太い猪首をうごかし、脂ぎった赤ら顔から、眼をうごかすとき、火傷かほうその痕か、片方の瞼の肉がひッ吊れて、眉が半分欠けているのが、ひどく人に獰猛な圧迫感を与えるのでもあった。
— 吉川英治 『大岡越前』 青空文庫
以後はどうかほうっておいて欲しい」 と、落涙して云った。
— 出師の巻 『三国志』 青空文庫
作例 · 標準
祖父は文化大革命の時代、下放によって農村での重労働を強いられたという。
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下放政策の背景には、都市部の失業対策という側面もあった。
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当時の知識青年たちにとって、下放は人生を大きく変える過酷な経験だった。
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映画の中で、主人公が下放先の荒野で必死に生き抜く姿に胸を打たれた。
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ウィキペディア曖昧さ回避
下放(かほう)とはかつて中華民国、中華人民共和国で行われた、国民を地方に送り出す政策のこと。下郷運動ともいう。思想的な政策の色が濃い。 以下3つを主に指す。 1936年、五四運動後の中華民国において、抗日宣伝のために北京などの都市の知識人や学生を農村・地方に抗日宣伝隊として派遣した啓蒙運動。 1957年以降、建国後の中華人民共和国において、毛沢東が共産主義に反発する政府や党の幹部や知識人を地方に送り失脚させた反右派闘争における政策の1つ。 1968年以降の中華人民共和国の文化大革命期において、毛沢東の指導によって行われた徴農制度。→上山下郷運動
出典: 下放 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0