寛治
かんじ
名詞頻度ランク #10897 · 青空 19 例
標準
Kanji era (1087.4.7-1094.12.15)
文例 · 用例
山城、大和の強震は、その後寛治五年にも永長元年にも治承元年にもあって、東大寺に災してまた巨鐘を落した。
— 田中貢太郎 『日本天変地異記』 青空文庫
即ち、永保元年に謫せられた正氏が、三歳のあんじゆ、当歳のつし王を残して置いたとして、全篇の出来事を、あんじゆが十四、十五になり、つし王が十二、十三になる寛治六七年の間に経過させた。
— 森鴎外 『歴史其儘と歴史離れ』 青空文庫
そこでわたくしは寛治六七年の頃、二度目に関白になつてゐた藤原師実を出した。
— 森鴎外 『歴史其儘と歴史離れ』 青空文庫
夫の寛治氏は、彼女も好んで迎えた人であり、五歳になる女の子をさえ儲けていた。
— 長谷川時雨 『芳川鎌子』 青空文庫
夫に対する愛が、彼女にあれば――子を思う誠があれば――そうした間違いが、どうしてしでかされようかとは、誰人も思うところであるし、寛治氏が妻を愛しむ心が深ければ、そうした欠陥が穿たれるはずはないとも思うことでもあるが、人間は生ているかぎり――わけても女性は感情に支配されやすい。
— 長谷川時雨 『芳川鎌子』 青空文庫
右につき本社は各方面に向つて精探せし結果、婦人は麻布区宮村町六七正二位勲一等伯爵枢密院副議長芳川顕正氏養子なる子爵曾禰安輔氏の実弟寛治氏の夫人鎌子(廿七)にして長女明子あり、男は同邸の自動車運転手倉持陸助(廿四)なることを突止めたり。
— 長谷川時雨 『芳川鎌子』 青空文庫
ところへ主人の寛治氏が帰って来たので、鎌子夫人及び運転手のおらぬ事を告げ、邸内を隈なく探したがとんとわからぬ。
— 長谷川時雨 『芳川鎌子』 青空文庫
然るに七日の朝になっても帰らぬので寛治氏も大いにおどろき、この事を友人なる自分に電話をかけ、昨夜来のことを告げるので、自分は『そんな事があるものか』と直に自動車で伯邸に赴いた。
— 長谷川時雨 『芳川鎌子』 青空文庫
作例 · 標準
この古文書は、寛治年間に書かれたものらしい。
幻辭AI · gemini-2.5-flash
歴史の授業で、寛治の政治改革について学んだ。
幻辭AI · gemini-2.5-flash
寛治の乱は、平安時代後期の重要な出来事の一つだ。
幻辭AI · gemini-2.5-flash
ウィキペディア
寛治 は、日本の元号の一つ。応徳の後、嘉保の前。1087年から1094年までの期間を指す。この時代の天皇は堀河天皇。
出典: 寛治 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0