宝亀
ほうき
名詞頻度ランク #36250 · 青空 15 例
標準
Hōki era (770.10.1-781.1.1)
文例 · 用例
また近年出て来た『歌経標式』でありますが、奈良朝の末の光仁天皇の宝亀年間に藤原浜成が作ったという序があって、歌の種類とか歌の病というようなことを書いたもので、そんな時代にこんな書物が果して出来たかどうか疑問になるのであります。
— 橋本進吉 『古代国語の音韻に就いて』 青空文庫
それは天王寺区○○町の田村克巳さんの邸宅のお庭にある地蔵さんで「阿砂龍石地蔵尊」といい、田村さんの仏壇の抽出に秘められている一巻の古い軸には、この地蔵さんが模写されていて、「宝亀五年三月二十四日聖徳太子御直作」と肩書があり、裾書に「鈴木町」とある。
— ――戦災余話 『起ち上る大阪』 青空文庫
そのうち特に著しいのは聖武天皇の天平十八年(一四〇六年)及び光仁天皇の宝亀二年(一四三一年)の如く渤海人千余人、つぎに三百余人の多人数が、それぞれ今の秋田地方に来着した事実で、満洲地方と交通が頗る自由に行はれたのは想像し難くない。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
宝亀元年河内|由義宮の行幸に「博多川に臨みて、以て宴遊す。
— 折口信夫 『和歌の発生と諸芸術との関係』 青空文庫
或はもっと早く宝亀年中だという考証もある。
— 齋藤茂吉 『ドナウ源流行』 青空文庫
これは淡海真人三船の讒言によって、出雲守大伴|古慈悲が任を解かれた、古慈悲は大伴の一家で宝亀八年八月に薨じた者だが、出雲守を罷めさせられた時に家持がこの歌を作った。
— 斎藤茂吉 『万葉秀歌』 青空文庫
頼襄が、いわゆる光仁・桓武の朝、彊※多事、宝亀中、廷議|冗兵をはぶき、百姓を殷富にす。
— 徳富蘇峰 『将来の日本』 青空文庫
私は未だ見たことはないが、『御岳神社由来記』という本があって、夫に拠ると祭神は大己貴命及|少彦名命で、宝亀六年に社殿を黒沢口に造営した。
— 木暮理太郎 『二、三の山名について』 青空文庫
作例 · 標準
歴史書によれば、宝亀の時代には地方で数々の反乱が起き、朝廷は対応に苦慮していたという。
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宝亀元年に創建されたと伝わるこの寺の木造建築は、現在国宝に指定されている。
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当時の貴族の日記を読むと、宝亀年間の宮廷行事がいかに華やかだったかがうかがえる。
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