建治
けんじ
名詞頻度ランク #41954 · 青空 9 例
標準
Kenji era (1275.4.25-1278.2.29)
文例 · 用例
猿面冠者の立身物語は、そのような立身をすることのない封建治下の人民に、人間的あこがれをよびさますよすがであった。
— 宮本百合子 『その柵は必要か』 青空文庫
これは、建治二年十二月九日に身延から佛道の教へに答へられた長い書簡の書出しである。
— ――よく生きよとの―― 『尼たちへの消息』 青空文庫
建治二年三月、下總中山、富木入道の妻の尼御前には――矢の走ることは弓の力、雲のゆくことは龍のちから、男のしわざは女の力なり。
— ――よく生きよとの―― 『尼たちへの消息』 青空文庫
建治二年三月旧師道善房の訃音に接するや、日蓮は悲嘆やる方なく、報恩鈔二巻をつくって、弟子日向に持たせて房州につかわし、墓前に読ましめ「花は根にかえる。
— ――予言僧日蓮―― 『学生と先哲』 青空文庫
兼好法師がその「徒然草」に、「建治弘安の頃は祭の放免のつけ物に、異様なる紺の布四五端にて馬を作りて、尾髪には灯心をして、蜘蛛のゐ描きたる水干につけて、歌の心など云ひて渡りし云云」とある建治・弘安は、右の文永のすぐ次の年号であるが、その僅かの間にも余程様子の変った様子が見られる。
— 喜田貞吉 『放免考』 青空文庫
建治元年五月一日薨去、年は七十八であった。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
為家薨去の建治元年には、為氏五十四、為教三十七、為相十三である。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
さて為家薨去の建治元年には、二条為氏五十四、京極為教三十七。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
作例 · 標準
「鎌倉幕府の建治年間(1275年~1278年)には、蒙古襲来という大きな出来事があった。」
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「建治の法令には、当時の武士の生活様式が反映されている。」
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「歴史学者は、建治年間における社会構造の変化について研究している。」
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ウィキペディア
建治 は、日本の元号の一つ。文永の後、弘安の前。1275年から1278年までの期間を指す。この時代の天皇は後宇多天皇。鎌倉幕府将軍は惟康親王、執権は北条時宗。
出典: 建治 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0