三后
さんこう
名詞
標準
Grand Empress Dowager, the Empress Dowager and the Empress Consort
文例 · 用例
副島種臣伯の如きは、さすがは学者であったから、余らの論を聴き、天皇三后皇太子云々を外国の皇族に当つるの不当なることを知り、また前に草案中の外国に関する箇条は悉く削除したることも知りおられたるをもって、慨嘆して「法律もし三蔵を殺すこと能わずんば種臣彼を殺さん」と喚わられたとのことである。
— 穂積陳重 『法窓夜話』 青空文庫
然るにそれは看方の不完全な點があるので、實は禹稷皐陶を三后とするのも、禹稷伯夷を三后とするのも、つまり儒家の中で三后といふ者を立つる各の家學の相違である。
— 内藤湖南 『尚書稽疑』 青空文庫
即ち齊へ行つた儒家は齊の國の姜姓と關係ある伯夷を三后の一人とし、秦に行つた儒家は秦の先祖と認めらるゝ皐陶を三后に入れた差異であつて、是は孰れが正しく孰れが謬るとも言へない。
— 内藤湖南 『尚書稽疑』 青空文庫
唯禹稷伯夷を三后としたのは稷下の儒家の思想を表はし、禹稷皐陶を三后としたのは秦國へ入つた儒家の思想を表はしたまでゞある。
— 内藤湖南 『尚書稽疑』 青空文庫
其他六國の末から漢初に至る間には又一種の思想があつて、魏源も指摘せる如く、史記の殷本紀の湯誥に三后は其后皆立つこと有りと言へる如き思想が餘程一般に行はれたものゝやうである。
— 内藤湖南 『尚書稽疑』 青空文庫
ともに准三后の宣旨をうけ、年官年爵を頂戴した。
— 第四巻 『現代語訳 平家物語』 青空文庫
これは藤子というので、後柏原天皇の後宮に召され、後奈良天皇および尼宮大聖寺殿の御生母であって、准三后、豊楽門院というのがすなわちそれだ。
— 原勝郎 『東山時代における一縉紳の生活』 青空文庫
四 以下の三后妃は、開化天皇の卷に見え、また下に見える。
— 校註 古事記 『古事記』 青空文庫
作例 · 標準
新年を寿ぐ宮中の儀式には、三后が揃って臨席された。
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皇室の歴史において、三后の存在は国家の安定に深く関わってきた。
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三后の住まいである御所は、厳重な警備体制が敷かれている。
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