弘安
こうあん
名詞
標準
Kōan era (1278.2.29-1288.4.28)
文例 · 用例
弘安四年に日本に襲来した蒙古の軍船が折からの颱風のために覆没してそのために国難を免れたのはあまりに有名な話である。
— 寺田寅彦 『颱風雑俎』 青空文庫
同じ筆法で行けば弘安四年六月三十日から七月一日へかけて玄界灘を通過した低気圧は我邦の存亡に多大の影響があったのである。
— 寺田寅彦 『戦争と気象学』 青空文庫
弘安の昔と昭和の今日とでは世の中が一変していることを忘れてはならないのである。
— 寺田寅彦 『天災と国防』 青空文庫
* * * * * * 今から六百余年|前の弘安年中に、元の蒙古の大軍が我が九州に襲って来た。
— 岡本綺堂 『飛騨の怪談』 青空文庫
第七段頃しも弘安四年、閏七月の朔日、ああら不思議や、京にては晴れに晴れたる夏空に一朶の黒雲|神立ち現れ、白羽はいだる鏑矢の見る見る輝き鳴動して、たちまち西へと飛び去りける。
— 北原白秋 『新頌』 青空文庫
弘安四年、七月|晦より、閏七月一日の夜にかけての大暴風に、敵十五万の大軍は覆滅して、還り得たるもの、わづか五分の一だと云はれてゐるが、十五万の大軍を石築地に依つて、よく防禦した将士の奮戦が、やがてこの天佑を待ち得たのであらう。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
文永弘安の両役に於ける莫大なる戦費は勿論、その前後に於ける辺海警備の費用、諸社寺に於ける祈祷に対する恩賞などで、鎌倉幕府の財政は、漸く窮乏を告ぐるに至つた。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
それと同時に、幕府を窮地に陥れたことは、文永弘安の両役に於ける戦功者に対する論功行賞の問題だつた。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
作例 · 標準
弘安の役は、日本史における重要な出来事の一つだ。
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元寇の際、弘安の役では日本軍が奮戦し、元軍を退けた。
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弘安の役から数年後、再び元の襲来が懸念された。
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弘安 は、日本の元号の一つ。建治の後、正応の前。1278年から1288年までの期間を指す。この時代の天皇は後宇多天皇、伏見天皇。鎌倉幕府将軍は惟康親王、執権は北条時宗、北条貞時。
出典: 弘安 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0