明応
めいおう
名詞
標準
Meiō era (1492.7.19-1501.2.29)
文例 · 用例
明応年中、近衛尚通の子政信、家を継ぐ。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
応仁、文明、長享、延徳を歴て、今は明応の二年十二月の初である。
— 幸田露伴 『雪たたき』 青空文庫
永享五年一月には、伊勢、近江、山城に、同年九月には相模、陸奥、甲斐に、宝徳元年四月には山城、大和に、文正元年四月には山城、大和に、明応三年五月にはやはり大和、山城に大地震があったが、明応三年五月の地震は大和が最も強く、奈良の東大寺、興福寺、薬師寺、法花寺、西大寺の諸寺に被害があった。
— 田中貢太郎 『日本天変地異記』 青空文庫
その明応には九年六月にも甲斐の大地震があった。
— 田中貢太郎 『日本天変地異記』 青空文庫
若宮の祭神若宮様は、元は畏い神でおありになつたのかどうかと言ふことだが、これについては、明応七年十二月三日、昨夕自九条殿御書到来。
— 折口信夫 『春日若宮御祭の研究』 青空文庫
連歌の最盛時代とも称すべき文明、明応は僅に昨日と過ぎて、余勢なほいまだ衰へざる永正、天文の間にありて、早く既に一転機の動かんとするを見る。
— 正岡子規 『古池の句の弁』 青空文庫
さらに同書明応三年六月十二日条に、於鳩垣内、唱聞与専当有舜喧嘩事出来。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
4 明応年間に木曽義元、小笠原氏と戦って、戦い勝利を得たるをもって、華表を建てて鳥居峠と呼ぶ。
— 国枝史郎 『剣侠』 青空文庫
作例 · 標準
明応の政変は、室町幕府の衰退を決定づける歴史的な転換点となった。
Illusions AI · gemini-3-flash-preview
この寺院の本尊は、明応年間に京都の仏師によって造られたものだ。
Illusions AI · gemini-3-flash-preview
明応の飢饉により、当時の農村部は甚大な被害を受けたと記録されている。
Illusions AI · gemini-3-flash-preview
ウィキペディア
明応(めいおう、 は、日本の元号の一つ。延徳の後、文亀の前。1492年から1501年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇、後柏原天皇。室町幕府の将軍は足利義材 、足利義澄。なお、それ以前に応仁の乱で西軍に擁立された後南朝の西陣南帝が、当初は「明応」の年号を独自に制定していたことがある。
出典: 明応 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0