応永
おうえい
名詞
標準
Ōei era (1394.7.5-1428.4.27)
文例 · 用例
明らかに狐を使った者は、応永二十七年九月足利将軍|義持の医師の高天という者父子三人、将軍に狐を付けたこと露顕して、同十月|讃岐国に流されたのが、年代記にまで出ている。
— 幸田露伴 『魔法修行者』 青空文庫
それから遂に大自在力を得て、凡そ二百年余も生きた後、応永七年足利義持の時に死したということだ。
— 幸田露伴 『魔法修行者』 青空文庫
応永に書きたる日高川の絵巻物には、女、裸にて今の湯具めくものを着けて河に入らむとする処を写せり、恐らくこれ下裳なるべし、とおなじ書に見ゆ。
— 泉鏡花 『当世女装一斑』 青空文庫
山名|氏清が泉州守護職となり、泉府と称して此処に拠った後、応永の頃には大内義弘が幕府から此地を賜わった。
— 幸田露伴 『雪たたき』 青空文庫
それから応永年間も地震の多い年で、約八十回にわたる記録が見える。
— 田中貢太郎 『日本天変地異記』 青空文庫
また応永二十二年、北畠満雅|阿射賀城に拠りしを足利方の大将土岐持益囲んで水の手を留めた節も、満雅計りて白米を馬に掛けて沢山な水で洗うと見せ敵を欺き果せた。
— 馬に関する民俗と伝説 『十二支考』 青空文庫
今でこそ、画聖と崇められ、名宝展などで朝野の貴顕に騒がれようとも、応永の昔の雪舟は高が雲水乞食に過ぎないのである。
— 嘉村礒多 『故郷に帰りゆくこころ』 青空文庫
さて序でございますから一寸申しておきますが、一休様は応永元年のお生れで、文明十三年の御入寂でいらせられますから、浮世にお在遊ばしたことは丁度八十八年で、これほど悟りをお開きなされたお方は先ずない。
— 三遊亭圓朝 『根岸お行の松 因果塚の由来』 青空文庫