時宗
じしゅう
名詞
標準
Jishū sect (of Buddhism)
文例 · 用例
して見ればこの人の薨去は文永四年で北条|時宗執権の頃であるから、その時分「げほう」と称する者があって、げほうといえば直に世人がどういうものだと解することが出来るほど一般に知られていたのである。
— 幸田露伴 『魔法修行者』 青空文庫
左様、何でも鎌倉時代の中葉、北條時宗頃の人でしたろう。
— 岡本綺堂 『飛騨の怪談』 青空文庫
北條時宗|邀え撃って大いに之を敗ったことは、凡そ歴史を知るほどの人は所謂「元寇の役」として、誰も諳じている所である。
— 岡本綺堂 『飛騨の怪談』 青空文庫
片倉小十郎も此時宗時の言に同じて、朝命に従わぬという名を負わされることの容易ならぬことを説いた、という説も有るが、また小十郎は其場に於ては一言も発せずに居たという説もある。
— 幸田露伴 『蒲生氏郷』 青空文庫
世界呑吐の元の野望敢て挫かん鉄石の、この人ありや執権時宗、観ずれば明鏡止水のごとく、断じては山河ことごとく震ふとかや。
— 北原白秋 『新頌』 青空文庫
世にいふ神風もさることながら、尽すべきことを尽して蒙古勢を撃破し得た執権時宗の胆と、皇軍の忠勇無比とがこの篇の眼目となるのである。
— 北原白秋 『新頌』 青空文庫
時宗大勇猛心を以て、蒙古の使者を斬ること再度、承久以来阻隔してゐた朝幕の間も融和し、君臣一如、上、亀山上皇は、御身を以て国難に代らんと、皇大神宮に祈請を凝らし給ひ、下、鎌倉の将士は驀進して敵艦を襲つて、顧ることをしなかつた。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
幕府が、かうした難関に直面してゐた時、弘安七年北條時宗が三十四歳の壮年で世を去つたことは、北條氏の運命を決したやうなもので、その子貞時は凡庸、その孫高時は暗愚にして、一族の中の内訌相次ぎ、北條氏の衰運は、著るしいものがあつた。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
作例 · 標準
時宗の寺院は、全国に点在しており、独特の仏教美術で知られている。
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彼は、時宗の教えに感銘を受け、その寺院で修行を始めた。
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時宗の開祖である一遍上人に関する歴史書を読んでいる。
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ウィキペディア
時宗(じしゅう)は、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派の日本仏教。開祖は一遍。鎌倉仏教のひとつ。総本山は神奈川県藤沢市の清浄光寺(通称遊行寺)。
出典: 時宗 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0