山陰道
さんいんどう
名詞
標準
San'indō (province roughly corresponding to the modern San'in region)
文例 · 用例
まだ子供が出来ない頃、この新婚の若夫婦は、山陰道の辺鄙な島々を旅し歩いた。
— 室生犀星と佐藤春夫の二詩友を偲びつつ 『小泉八雲の家庭生活』 青空文庫
嘗て、ものに記して、東海道中、品川のはじめより、大阪まはり、山陰道を通じて、汽車から、婀娜と、しかして、窈窕と、野に、禽類の佳人を見るのは、蒲田の白鷺と、但馬豐岡の鶴ばかりである、と知つたかぶりして、水上さんに笑はれた。
— 泉鏡太郎 『木菟俗見』 青空文庫
大晦の晩に、山陰道の家から、兄弟達の云つて遣つた丸餅が、蜜柑箱に一ぱい詰まつて屆いた。
— 岡本かの子 『雜煮』 青空文庫
山陰道の優雅な野趣が眼に浮んで來た。
— 岡本かの子 『雜煮』 青空文庫
足利尊氏は途中|近江鏡ノ宿にて、密勅を蒙るや、之を秘して、何気なく京都を通り、丹波に入つて、足利氏の所領たる篠村八幡宮祠前に於て、勤皇の旗を挙げ、山陰道を上つてゐた千種忠顕の官軍と合して、六波羅を攻めて、之を滅した。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
彼はもし、高等海員になってやや多い収入を得ないならば、山陰道の山中で、冷酷な自然と、惨忍なる搾取との迫害から、その僻村全体が寒さのために凍死し、飢餓のために餓死しなければならないのであった。
— 葉山嘉樹 『海に生くる人々』 青空文庫
彼の村は、山陽道と山陰道を分ける中国の脊梁山脈の北側に、熊笹を背に、岩に腰をおろしてもたれかかっているような、人煙まれな険阻な寒村であった。
— 葉山嘉樹 『海に生くる人々』 青空文庫
山陰道あたりを四月頃に旅をしたら何んなに愉快だらうかと思ふ。
— 田山録弥 『行つて見たいところ』 青空文庫
作例 · 標準
古代、山陰道は都と西国を結ぶ重要な街道だった。
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歴史書には、山陰道を旅する武士たちの記述が残されている。
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彼は山陰道の歴史を研究し、その文化的な意義を解き明かした。
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ウィキペディア
山陰道(さんいんどう、せんいんどう、そとものみち)は、五畿七道の一つ。本州日本海側の西部の行政区分、および同所を通る幹線道路(古代から中世)を指す。
出典: 山陰道 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0