五畿七道
ごきしちどう
名詞
標準
the five home provinces and seven districts of ancient Japan
文例 · 用例
仁和三年七月の地震は山城、摂津をはじめ五畿七道にわたった大地震で、海に近い所は海嘯の難を被ったが、そのうちでも摂津の被害は最も甚だしかった。
— 田中貢太郎 『日本天変地異記』 青空文庫
五畿七道へ通じる八達の路は開けて交通の要衝であり、百姓万民心を安んじて生業にはげむことのできる土地であった。
— 第五巻 『現代語訳 平家物語』 青空文庫
換言すれば五畿七道という建制順序に過重の意義を付し、京都からして東海、東山、北陸、山陰、山陽の五道に進発するのには、国尽くしに挙げてあるような順序で国々を通り貫いたものと合点したがる。
— 原勝郎 『東山時代における一縉紳の生活』 青空文庫
五畿七道とてもまた同じことだ。
— 原勝郎 『東山時代における一縉紳の生活』 青空文庫
そうして、心身ともに鍛え上げて、道徳も、信仰も完備し、四十余年の間五畿七道いたらざるところなく、四方を遊説して、実践躬行を以て人を教え導いて、その徳に化せられるもの十余万人を数えるようになったということです。
— 恐山の巻 『大菩薩峠』 青空文庫
それを繞る五畿七道の市街交通等を概望すれば、その広大遠計は、さらに驚目を奪う。
— 第十分冊 『新書太閤記』 青空文庫
作例 · 標準
歴史の教科書で、日本の古い行政区分である五畿七道の地図を眺めた。
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五畿七道に基づいた街道整備は、当時の日本の物流を大きく支えていた。
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東海道や南海道など、現代の地名にも五畿七道の名残が多く見られる。
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ウィキペディア
五畿七道 とは、古代日本の律令制における、広域地方行政区画である。畿内七道 とも呼ばれた。1869年(明治2年)、北海道が新設されてからは五畿八道と呼ばれる。
出典: 五畿七道 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0