承元
じょうげん異読 しょうげん
名詞
標準
Jōgen era (1207.10.25-1211.3.9)
文例 · 用例
あくる承元四年には、ただいま私の記憶に残つてゐる事もあまりございませんが、将軍家の御日常はいよいよのどかに、昨年より更におからだも御丈夫になられた御様子で、御多病のお方でございましたが、このとしには、いちどもおひき籠りになつた事が無かつたやうに覚えて居ります。
— 太宰治 『右大臣実朝』 青空文庫
廿二日、乙巳、晴、将軍家鶴岳宮に御参、朝光御剣を役す、去る承元二年已来、御疱瘡の跡を憚らしめ給ふに依りて御出無し、今日始めて此儀有り。
— 太宰治 『右大臣実朝』 青空文庫
承元元年正月以来五年振りのお詣りでございましたが、承元元年には将軍家は十六歳、その時には私はまだ御ところの御奉公にあがつてゐませんでしたので、このたびはそれこそ本当に、生れてはじめてのお供でございました。
— 太宰治 『右大臣実朝』 青空文庫
このとしの五月の兵乱も、すでに三年前の承元四年十一月二十一日にお夢のお告げに依つて察知なされてゐたといふ事はまへにも申し上げて置きましたけれども、その時のお夢は、ただ、合戦あるべしといふのみにて、どなたの反乱であるか、その主謀者の名まではおわかりになつてゐなかつたのではなからうかと思はれます。
— 太宰治 『右大臣実朝』 青空文庫
山城、大和の強震は、その後寛治五年にも永長元年にも治承元年にもあって、東大寺に災してまた巨鐘を落した。
— 田中貢太郎 『日本天変地異記』 青空文庫
承元元年、彼の三十五歳のとき、法然ならびにその門下は流罪の難にあった。
— 三木清 『親鸞』 青空文庫
承元の法難には親鸞も連累した。
— 三木清 『親鸞』 青空文庫
四「おれがこの島へ流されたのは、治承元年七月の始じゃ。
— 芥川龍之介 『俊寛』 青空文庫
作例 · 標準
承元の法難により、法然や親鸞といった僧侶が流罪の憂き目にあった。
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承元時代の古文書が見つかり、当時の社会情勢が明らかになった。
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土御門天皇から順徳天皇へと譲位が行われたのは、承元の頃のことだ。
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