慶長
けいちょう
名詞頻度ランク #37339 · 青空 476 例
標準
Keichō era (1596.10.27-1615.7.13)
文例 · 用例
(F・O)T 慶長十七年卯月十三日 豊前小倉の海上の 離れ島に(O・L)T 父の敵佐々木巌流と 彼を護る剣士三十余名と 決戦すS=海上 数艘の小舟に分乗した、佐々木巌流の一隊。
— 山中貞雄 『武蔵旅日記』 青空文庫
江戸でも慶長寛永寛政文政のころの記録がある。
— 寺田寅彦 『化け物の進化』 青空文庫
この橋は、おおむかしの慶長七年に始めて架けられて、そののち十たびばかり作り変えられ、今のは明治四十四年に落成したものである。
— 太宰治 『葉』 青空文庫
境内に石碑があつて、慶長五年|関ヶ|原役の時に、山内一豊がこゝに茶亭を築いて、東海道を攻め上つて来た徳川家康を饗した古跡であるといふことが彫刻されてゐる。
— 岡本綺堂 『小夜の中山夜啼石』 青空文庫
津軽藩祖大浦為信は、関ヶ原の合戦に於いて徳川方に加勢し、慶長八年、徳川家康将軍宣下と共に、徳川幕下の四万七千石の一侯伯となり、ただちに弘前高岡に城池の区劃をはじめて、二代藩主津軽信牧の時に到り、やうやく完成を見たのが、この弘前城であるといふ。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
尋で使を肥前名護屋に遣はし、秀吉の陣を犒ひ、三年正月には従四位下右京大夫となり、慶長五年関ヶ原の役には、兵を出して徳川家康の軍に従ひ、西上して大垣に戦ひ、上野国大館二千石を加増す。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
れいの竹内運平氏は「青森県通史」に於いて、この辺以南は、昔からの津軽領ではなく、秋田領であつたのを、慶長八年に隣藩佐竹氏と談合の上、これを津軽領に編入したといふやうな記録もあると言つてゐる。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
堀久太郎は強いことは強いが、後に至って慶長の三年、越後の上杉景勝の国替のあとへ四十五万石(或は七十万石)の大封を受けて入ったが、上杉に陰で糸を牽かれて起った一揆の為に大に手古摺らされて困った不成績を示した男である。
— 幸田露伴 『蒲生氏郷』 青空文庫
作例 · 標準
慶長年間は、豊臣秀吉の死と徳川家康の天下統一が進行した時代だ。
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慶長小判は、江戸時代初期に流通した貨幣の一つである。
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この古文書は、慶長年間に書かれたものだと鑑定された。
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