長和
ちょうわ
名詞
標準
Chōwa era (1012.12.25-1017.4.23)
文例 · 用例
初め麹町八丁目の鳥羽藩主稲垣対馬守|長和の邸内にあったのが、中ごろ築地海軍操練所内に移るに及んで、始めて攻玉塾と称し、次で芝神明町の商船黌と、芝新銭座の陸地測量習練所とに分離し、二者の総称が攻玉社となり、明治十九年に至るまで、近藤自らこれを経営していたのである。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
門外には岸和田から来た岡部|内膳正長和の一番手二百余人、高槻の永井|飛騨守直与の手、其外淀の手が備へてゐる。
— 森鴎外 『大塩平八郎』 青空文庫
帽子ばかりでも七種類だ」 この異様な一群の中に山形県師範学校長和田兼三郎氏のいるとは知らぬ人の想像もつかぬことに違いない。
— ──専攻科第一類歴史部── 『平泉紀行』 青空文庫
同書長和二年正月四日条に、将監保信云、中将朝臣雅通消息云、白馬|※近衛、称散所随身、不勤其事、前例不然之事也随報下行|者。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
『小右記』は長和の当時大納言兼右近衛大将であった藤原実季の日記で、その長和二年は前引『高野参詣記』の永承よりも三十六年前であれば、これこそ管見に上った最古の散所といってよい。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
この文書がもし真物ならんには、散所の文字ある最古の文書として、既引『小右記』長和二年の記事や、永承三年『高野参詣記』の記事などよりも上に列すべきものではあるが、もとより後世の偽書で、延喜当時の状態を知るべき参考となるべきものではない。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
これは果してどんな事件であったのかよくはわからぬが、「小右記」長和三年四月二十一日条に、今朝四条大納言密々示送云、使庁事極多奇事。
— 喜田貞吉 『放免考』 青空文庫
中央気象台長和達清夫博士が、十三日の毎日新聞投書欄に「気象台では飛行不能の天候であると発表したことはありません。
— ――白鳩号遭難事件を回顧して―― 『「もく星」号の謎』 青空文庫
作例 · 標準
平安時代の長和年間は、文化が花開いた時代として知られる。
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長和は、西暦1012年から1017年までの日本の元号である。
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長和の文化は、後の時代に大きな影響を与えた。
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