大永
たいえい
名詞
標準
Taiei era (1521.8.23-1528.8.20)
文例 · 用例
疾病の絶滅は實に希望するところであるけれども、そは洪大永遠の問題で、一朝夕にして之を論ずるも、一掬水を以て劫火に對するが如きものであるから姑く擱かう。
— 幸田露伴 『努力論』 青空文庫
大永五年八月には鎌倉に、弘治元年八月には会津に、天正六年十月には三河に、同十三年十一月には、山城、大和、和泉、河内、摂津、三河、伊勢、尾張、美濃、飛騨、近江、越前、加賀、讃岐の諸国に大地震があって、海に瀕した国には海嘯があった。
— 田中貢太郎 『日本天変地異記』 青空文庫
「我々の短い生涯が、その前とあととに続く無限の大永劫の中に没入していることを思え。
— 中島敦 『悟浄出世』 青空文庫
疾病の絶滅は実に希望するところであるけれども、それは広大永遠の問題で、僅かな時間で之を論じるのは、一掬いの水で大火に対するようなものであるから、それはしない。
— 幸田露伴 『努力論(現代訳)』 青空文庫
大永四年に家康の祖父岡崎次郎三郎清康が、忠行の父忠茂の謀を用ゐて、松平弾正左衛門信貞入道昌安の兵を破り、昌安の女婿となつて岡崎城に入つた時、忠茂は岡崎市の小物成を申し受け、さて毫釐も徴求せずにゐた。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
大永三年に鶴岡八幡宮の別当法眼良能から、山ノ内・藤沢の長吏に与えた文書にも、「八幡宮掃除下役、無懈怠可相勤。
— 喜田貞吉 『エタ源流考』 青空文庫
山科『言継卿記』(大永―天正)にはいつもこの字を用いている。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
大永七年に花山家からして借入れを申込まれた時に、実隆は今仁和寺宮の衆が宿舎としているから、貸すわけに行きかぬると断わっている。
— 原勝郎 『東山時代における一縉紳の生活』 青空文庫
作例 · 標準
大永年間は、戦国時代の初期にあたる混乱の時代だった。
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この古文書は、大永三年に書かれたものとされている。
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大永の飢饉は、当時の民衆に甚大な被害をもたらした。
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