長寛
ちょうかん
名詞
標準
Chōkan era (1163.3.29-1165.6.5)
文例 · 用例
江戸でも慶長寛永寛政文政のころの記録がある。
— 寺田寅彦 『化け物の進化』 青空文庫
おもへば不思議や、長寛二年の秋八月廿四日は果敢なくも志渡にて崩れさせ玉ひし日と承はれば、月こそ異れ明日は恰も其日なり。
— 幸田露伴 『二日物語』 青空文庫
そもそも全国で合祀励行、官公吏が神社を勦蕩滅却せる功名高誉とりどりなる中に、伊勢、熊野とて、長寛年中に両神の優劣を勅問ありしほど神威高く、したがって神社の数はなはだ多かり、士民の尊崇もっとも厚かりし三重と和歌山の二県で、由緒古き名社の濫併、もっとも酷く行なわれたるぞ珍事なる。
— 南方熊楠 『神社合祀に関する意見』 青空文庫
砲台には徳川家の時に据え付けた大砲が三十六門あって、今岸和田藩主岡部|筑前守長寛殿の預りになっています。
— 森鴎外 『堺事件』 青空文庫
作例 · 標準
長寛年間は、平清盛が政治の実権を握っていた時代である。
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ウィキペディア
長寛 は、日本の元号の一つ。応保の後、永万の前。1163年から1165年までの期間を指す。この時代の天皇は二条天皇。
出典: 長寛 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0