正和
しょうわ
名詞頻度ランク #30821 · 青空 10 例
標準
Shōwa era (1312.3.20-1317.2.3)
文例 · 用例
さて阿仏の訴訟は容易に決まらない中、阿仏は鎌倉で歿し、引きつづいて弘安九年為氏六十五で薨ずると、二条家では嫡子為世がつづいて争い、漸く二十七年たって正和二年、冷泉為相の勝訴となった。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
しかし応長元年に伏見院から撰集の院宣が下り、為兼独力で撰んで、正和二年八月奏覧を経たのが『玉葉和歌集』であった。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
その前の年正和元年に、為兼はついに正二位大納言にいたった。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
ところがこの『玉葉集』の奏覧された正和二年に、伏見上皇が御出家あったので、為兼はお跡をしたって同じく出家した。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
翌々年正和四年には春日神社へ願立のため奈良へ赴いたが、勿論これは再び持明院統のために画策するところがあった故で、その冬捕縛され、翌五年二月土佐へ流された。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
時に、松波荘九郎といふ者、武者修行として、稀※、蜂須賀邑に到、日暮れ宿を求むるも応ずるものなし、小六正和、その居宅の檐下に躊躇せるを怪しみて故を問ひ、艱難相救ふは、武士の常情なり、宜しくわが家に留るべしとして、懇切に迎へ入れしかば、松波喜びて、他日必ず恩を報ずべしとて、印符を分ちて去りぬ。
— 吉川英治 『随筆 宮本武蔵』 青空文庫
この旧縁により、正和、後秀龍に属し、蜂須賀領二百貫を領す。
— 吉川英治 『随筆 宮本武蔵』 青空文庫
この小六|正和というのは、矢矧の橋で少年秀吉の面だましいを見て拾って行ったという伝説のある、あの小六正勝の父にあたる人物であるが、道三秀龍が、蜂須賀|邑の一郷士の軒下に、途方に暮れて屈んでいたというはなしの方は、矢矧の橋の日吉丸のことほど伝わっていないが、それよりは事実性は多い。
— 吉川英治 『随筆 宮本武蔵』 青空文庫
作例 · 標準
正和の時代は、鎌倉時代末期にあたる。
幻辭AI · gemini-2.5-flash
正和年間に起きた出来事について、歴史書で調べた。
幻辭AI · gemini-2.5-flash
この古文書は、正和の天皇が発した勅令を記している。
幻辭AI · gemini-2.5-flash
ウィキペディア
正和 は、日本の元号の一つ。応長の後、文保の前。1312年から1317年までの期間を指す。この時代の天皇は花園天皇。鎌倉幕府将軍は守邦親王。執権は北条宗宣、北条煕時、北条基時、北条高時。
出典: 正和 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0