建仁
けんにん
名詞
標準
Kennin era (1201.2.13-1204.2.20)
文例 · 用例
建仁寺、いや、徳玄寺、いけない、さうだ 清源寺!
— 宮沢賢治 『疑獄元兇』 青空文庫
まだ新しくて青き光失せぬ建仁寺籬折りまはしたる小さき坪の中に咲き出でたる、あるはまたよろづ黒みわたりたる古き大寺の書院の椽近く※ひこぼるゝなど、云ひがたき佳きおもむきあり。
— 幸田露伴 『花のいろ/\』 青空文庫
庭はほとんど何も植わっていない平庭で、前面の建仁寺垣の向こう側には畑地があった。
— 寺田寅彦 『夏目漱石先生の追憶』 青空文庫
この寮の庭は京都の建仁寺|塔頭の一つ、霊洞院の庭を摸したという話です。
— 岡本かの子 『生々流転』 青空文庫
餞別として詩歌を贈られ候人々は烏丸大納言資慶卿、裏松宰相資清卿、大徳寺清巌和尚、南禅寺、妙心寺、天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺|並びに南都興福寺の長老達に候。
— 森鴎外 『興津弥五右衛門の遺書』 青空文庫
若くして禅学に達し、聖福寺の東瀛禅師、建仁寺の黙雷和尚に参し、お土産に宝満山の石羅漢の包みを提げて行って京都の俥屋と、建仁寺内を驚かした。
— 夢野久作 『近世快人伝』 青空文庫
新三郎はそこで起きて陸へ眼をやると、二重の建仁寺垣があって耳門が見えていた。
— 田中貢太郎 『円朝の牡丹燈籠』 青空文庫
定家卿の『建仁元年後鳥羽院熊野御幸記』に鹿瀬山を過ぎて暫く山中に休息小食す、この所にて上下木枝を伐り、分に随って槌を作り、榊の枝に結い付け、内ノハタノ王子に持参(ツチ分罰童子云々)し各これを結い付く。
— 鶏に関する伝説 『十二支考』 青空文庫
作例 · 標準
建仁の時代は、鎌倉幕府の初期にあたる。
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建仁年間に編纂された歴史書には、当時の社会情勢が記されている。
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京都の建仁寺は、この建仁年間に創建されたと伝わる。
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ウィキペディア
建仁 は、日本の元号の一つ。正治の後、元久の前。1201年から1204年までの期間を指す。この時代の天皇は土御門天皇。後鳥羽上皇の院政。鎌倉幕府将軍は源頼家、源実朝、執権は北条時政。
出典: 建仁 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0