延元
えんげん
名詞
標準
Engen era (of the Southern Court; 1336.2.29-1340.4.28)
文例 · 用例
十世弥忠太は栄喜の嫡子で、後才右衛門と改名し、番方を勤め、万延元年に病死した。
— 森鴎外 『興津弥五右衛門の遺書』 青空文庫
万延元年庚申、十四歳。
— 森鴎外 『能久親王年譜』 青空文庫
万延元年――かの井伊大老の桜田事変の年である。
— 岡本綺堂 『経帷子の秘密』 青空文庫
正行の活動 延元四年の秋、後醍醐天皇は吉野の南山|行宮に崩御せられた。
— 菊池寛 『四条畷の戦』 青空文庫
尊氏、直義その後を追うて、西上するや、建武の功臣たる赤松|則村など、官軍に叛いて尊氏に応じ、東西から京都に迫つたので、天皇は延元元年正月一日、難を比叡山に避け給うた。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
延元元年四月、尊氏兄弟は博多を発し、途中、中国四国の兵を併せて海陸より並び進んで東上した。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
延元元年十二月のことである。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
後醍醐天皇は、その後も新田義貞に勅して、皇太子|恒良親王、皇子|尊良親王を奉ぜしめて、北陸経営に当らしめ、又|陸奥の北畠|顕家を西上せしめて、京都の恢復を計り給うたが、顕家は延元三年五月、摂津の石津で戦死し、新田義貞は、延元三年七月藤島の戦ひで戦死した。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
作例 · 標準
延元元年に後醍醐天皇が吉野へ逃れたことで、南北朝の動乱が本格化した。
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この寺院に残る古い塔頭は、延元年間に建立されたものだと伝えられている。
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延元四年の冬、足利軍の攻勢を前に南朝の将士たちは苦境に立たされた。
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歴史小説の舞台として、波乱に満ちた延元時代が描かれている。
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ウィキペディア
延元 は、日本の南北朝時代の元号の一つ。南朝方で使用された。建武の後、興国の前。1336年から1340年までの期間を指す。この時代の天皇は、南朝方が後醍醐天皇、後村上天皇。北朝方が光明天皇。室町幕府将軍は足利尊氏。
出典: 延元 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0