正応
しょうおう
名詞
標準
Shōō era (1288.4.28-1293.8.5)
文例 · 用例
倖にも、其前年六月に、山籠りした世阿弥の弟子の禅竹は、ゆくりなくも命婦ら一部の、漂浪の痕を辿るべき書き物(禅竹文正応仁記)を残して置いてくれた。
— 折口信夫 『狐の田舎わたらひ』 青空文庫
さすがにドイツ国はこの明らかな理を知って、純正応用ともに理科の発達に力をつくしている。
— 丘浅次郎 『教育と迷信』 青空文庫
その後数年、正応六年(永仁元年)八月に、持明院統の伏見天皇の御即位後間もなく、その御考によって二条為世・京極為兼・飛鳥井雅有・六条|隆博(『続古今』撰者の一人行家の子)の四人を召し、撰集の御企てがあったが、四人の意見が衝突してついにまとまらなかった。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
伏見天皇の正応三年三月。
— みなかみ帖 『私本太平記』 青空文庫
作例 · 標準
正応年間に建てられたというこの五輪塔は、国の重要文化財に指定されている。
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正応の時代、鎌倉幕府内では北条貞時が実権を握りつつあった。
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古い文書の末尾に「正応二年」の記名があるのを発見した。
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