承久
じょうきゅう異読 しょうきゅう
名詞
標準
Jōkyū era (1219.4.12-1222.4.13)
文例 · 用例
日本の歴史の恐怖時代といふべき、平家の末路から、鎌倉の執権政治にかけて、悲壮なる運命劇は、何故か東海道の河畔で演ぜられたのが多い、承久の乱に鎌倉に囚はれて、東下りの路すがら、菊川の西岸に宿つて、末路の哀歌を障子に書きつけた中御門中納言宗行卿もさうである。
— 小島烏水 『天竜川』 青空文庫
日坂は金谷と掛川との間の宿で、承久の宗行卿や、元弘の俊基卿で名高い菊川の里や、色々の人たちの紀行や和歌で名高い小夜の中山などは、みなこの日坂附近にある。
— 岡本綺堂 『小夜の中山夜啼石』 青空文庫
四月十二日承久元年と為す。
— 太宰治 『右大臣実朝』 青空文庫
承久の乱後土佐へ遷御せられた後土御門上皇も、この山中で大雪に苦しまれたと云うことが「承久記」の中にも見えている。
— 田中貢太郎 『鍛冶の母』 青空文庫
これが承久の変である。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
幕府は承久の変後、院宣に応ぜし人々の所領三千余箇所を没して、有功の将士に与へ、新たに地頭職を設け、幕府の基礎は、更に強固なものとなつた。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
承久の変に於ける不臣を敢てした鎌倉幕府が、かくも強大になつたことは、悲しむべきだが、武士の統制機関が出来るだけ、強大となつて、将に来らんとする皇国|未曾有の危機たる蒙古襲来に当らうとしてゐたことは、北條氏が、無意識の裡に行つてゐたせめてもの罪滅ぼしであらう。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
時宗大勇猛心を以て、蒙古の使者を斬ること再度、承久以来阻隔してゐた朝幕の間も融和し、君臣一如、上、亀山上皇は、御身を以て国難に代らんと、皇大神宮に祈請を凝らし給ひ、下、鎌倉の将士は驀進して敵艦を襲つて、顧ることをしなかつた。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
作例 · 標準
承久の時代、後鳥羽上皇は幕府に対抗して朝廷の権威を取り戻そうと画策した。
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承久年間に編纂された古文書には、当時の地方武士の暮らしぶりが詳細に記されている。
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歴史の授業で、鎌倉時代初期の元号である「承久」について詳しく学んだ。
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ウィキペディア
承久 は、日本の元号の一つ。建保の後、貞応の前。1219年から1222年までの期間を指す。この時代の天皇は順徳天皇、仲恭天皇、後堀河天皇。後鳥羽上皇の院政、鎌倉幕府将軍は空位、執権は北条義時。
出典: 承久 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0