宝永
ほうえい
名詞
標準
Hōei era (1704.3.13-1711.4.25)
文例 · 用例
二勺より路は黒鉄を鍛へたる如く、天の一方より急斜して、爛沙、焦石、截々、風の噪ぐ音して人と伴ひ落下す、偶ま雲を破りて額上|微かに見るところの宝永山の赭土より、冷乳の缸を傾けたる如く、大霧を揺るよと見る間に、急瀬上下に乱流する如くなりて、中霄に溢れ、片々|団々、がり、故郷を望んで帰り去なむを私語く。
— ――明治三十六年八月七日御殿場口にて観察―― 『霧の不二、月の不二』 青空文庫
これはしかし吉田口の五合目から、富士に向って、左に路を取り、宝永山の火口壁から、その火口底へ下り、大宮方面の大森林に入って、大沢の嶮を越え、小御岳へ出るのが順で、始めて「大願成就」になるのだが、私は故あって、逆に山に向って右廻りをした。
— 小島烏水 『不尽の高根』 青空文庫
ここから宝永山の噴火口へは、三丁位であろう。
— 小島烏水 『不尽の高根』 青空文庫
あれは宝永の噴火口で、雪が実際は消えていないのであるが、火口壁の陰影で、藍色に見えるのである。
— 小島烏水 『高山の雪』 青空文庫
六合目――宝永の新火口壁(いわゆる宝永山)まで来ると、さすがに高嶺の冬だと思われる冷たさが手足の爪先まで沁みて来る。
— 小島烏水 『雪中富士登山記』 青空文庫
来年にもあるいはあすにも、宝永四年または安政元年のような大規模な広区域地震が突発すれば、箱根のつり橋の墜落とは少しばかり桁数のちがった損害を国民国家全体が背負わされなければならないわけである。
— 寺田寅彦 『災難雑考』 青空文庫
宝永五年の夏のおわりごろ、大隅の国の屋久島から三里ばかり距てた海の上に、目なれぬ船の大きいのが一隻うかんでいるのを、漁夫たちが見つけた。
— 太宰治 『地球図』 青空文庫
長崎の奉行たちがシロオテを糺問して失敗したのは宝永五年の冬のことであるが、そのうちに年も暮れて、あくる宝永六年の正月に将軍が死に、あたらしい将軍が代ってなった。
— 太宰治 『地球図』 青空文庫
作例 · 標準
宝永年間には、富士山の噴火など多くの災害が起こった。
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歴史の教科書で宝永の改革について学んだ。
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この古文書は、宝永三年と記されているから、かなり古いものだ。
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ウィキペディア
宝永(ほうえい、 は、日本の元号の一つ。元禄の後、正徳の前。1704年から1711年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇、中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉、徳川家宣。
出典: 宝永 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0