文正
ぶんしょう
名詞
標準
Bunshō era (1466.2.28-1467.3.5)
文例 · 用例
永享五年一月には、伊勢、近江、山城に、同年九月には相模、陸奥、甲斐に、宝徳元年四月には山城、大和に、文正元年四月には山城、大和に、明応三年五月にはやはり大和、山城に大地震があったが、明応三年五月の地震は大和が最も強く、奈良の東大寺、興福寺、薬師寺、法花寺、西大寺の諸寺に被害があった。
— 田中貢太郎 『日本天変地異記』 青空文庫
戦乱の勃発 唯ならぬ雲行きを見て、朝廷は、文正二年三月五日に、兵乱を避ける為め改元をした。
— 菊池寛 『応仁の乱』 青空文庫
范祠の鳥 長白山の醴泉寺は宋の名臣|范文正公が読書の地として知られ、公の祠は今も仏殿の東にある。
— 池北偶談 『中国怪奇小説集』 青空文庫
(以上明治四十三年五月「藝文」第壹年第貳號)三、舊説に對する異論 足利氏の中世に當り、僧周鳳あり、文正の頃、善隣國寶記を著はして、始めて倭國が果して日本なりやに疑を挾めり。
— 内藤湖南 『卑彌呼考』 青空文庫
文正の鳴鶴がありましたり元信の山水に応挙の花鳥、狙仙の猿……恐らく博物館に陳列されましたお寺方の絵ですと、大抵一通りは写してあります。
— 上村松園 『座右第一品』 青空文庫
それに『前田文正筆記』、『津軽日記』、『喫茗雑話』の三書から、抽斎に関する事蹟を抄出して添えてあった。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
之に懲りて爾後曾國藩一族の子弟は、皆拘謹身を持したといふ(民國の柴萼『梵天廬叢録』卷四、曾文正公二十六則の條)。
— 桑原隲藏 『支那の孝道殊に法律上より觀たる支那の孝道』 青空文庫
その最初のものは、宮廷詩文正朗読師の主キューダビイが、出仕しようとした朝だった。
— 小栗虫太郎 『黒死館殺人事件』 青空文庫
作例 · 標準
文正元年の記録によれば、その年は大飢饉に見舞われ社会が混乱していた。
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この古文書は文正年間に書かれたもので、当時の武士の生活を伝えている。
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文正という元号は非常に短く、わずか一年ほどで応仁へと改元された。
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ウィキペディア
文正 は、日本の元号の一つ。寛正の後、応仁の前。1466年から1467年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政。
出典: 文正 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0