永和
えいわ
名詞
標準
Eiwa era (of the Northern Court) (1375.2.27-1379.3.22)
文例 · 用例
左に模しし画にてその製り様を見たもうべし(第四図イ)、『鹿苑院殿御元服記』永和元年三月の条、〈御車新造、東寺より御輿、御力者十三人、牛飼五人、雑色九人、車副釜取以下〉とあるは、老懸を附けし者の供奉の事を記ししにて釜取といいしは最古し。
— 鶏に関する伝説 『十二支考』 青空文庫
雷車 東晋の永和年中に、義興の周という姓の人が都を出た。
— 捜神後記(六朝) 『中国怪奇小説集』 青空文庫
那珂氏の「上世年紀考」(『史學雜誌』第八編第一二號)によれば、崇神天皇の崩年戊寅は魏帝曹髦の甘露三年即ち西暦二百五十八年に當り、仲哀天皇の崩年壬戌は晉の穆帝の永和十一年即ち西暦三百五十五年に當る。
— 白鳥庫吉 『倭女王卑彌呼考』 青空文庫
松永和風が、美音を張りあげて『たよりくる船の中こそ床しけれ、君なつかしと都鳥……』と唄い出した。
— 佐藤垢石 『みやこ鳥』 青空文庫
蘭亭修禊の宴は晋の王羲之が永和九年癸丑の暮春に行ったので、嘉永六年はあたかも千五百一年目に当るのである。
— 永井荷風 『下谷叢話』 青空文庫
永和元年(天授元年)六月|後円融院が二条|為遠に撰集の勅命を下され、八月以後それに従事したが、六年後の永徳元年(弘和元年)八月二十七日為遠は五十歳で世を去ったので、十一月になって為重が仰せる蒙り、永徳三年(弘和三年)に一応完成した。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
偶然、寺本熊・森岩雄、池永和央に会ひ、阪急五階の時雨茶屋へ。
— 昭和十四年 『古川ロッパ昭和日記』 青空文庫
「お、やっぱりドン百姓でも生れた村の方がえいわい。
— 黒島傳治 『老夫婦』 青空文庫
作例 · 標準
永和の時代には、南北朝の争いが続いていた。
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この絵巻物は永和年間に描かれたものらしい。
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永和という元号は、安定した時代を願って名付けられたのだろう。
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ウィキペディア曖昧さ回避
永和(えいわ)は日本あるいは海外の元号、地名、駅名などを指す。
元号
- 永和 (漢) — 後漢の順帝の治世で使用された元号。136年 - 141年。
- 永和 (東晋) — 東晋の穆帝の治世で使用された元号。345年 - 356年。
- 永和 (後秦) — 五胡十六国時代、後秦の姚泓の治世で使用された元号。416年 - 417年。
- 承和 (北涼) — 北涼の沮渠牧犍の治世で使用された元号で、永和とも表記される。433年 - 417年。
- 永和 (閩) — 五代十国時代の閩の王継鵬の治世で用いられた元号。935年。
- 永和 (日本) — 日本の南北朝時代の北朝の後円融天皇の治世にて使用された元号。1375年 - 1379年 。
- 永和 (朱一貴) — 清代の台湾で朱一貴が建てた私年号。1721年。
地名
駅名
その他
- 永和信用金庫 — 大阪府大阪市浪速区に本店を置く信用金庫。
出典: 永和 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0