享保
きょうほう
名詞
標準
Kyōhō era (1716.6.22-1736.4.28)
文例 · 用例
さすがに上吉田は、明藤開山、藤原|角行(天文十年―正保三年)が開拓して、食行身禄(寛文十一年―享保十八年)が中興した登山口だけあって、旧|御師町らしいと思わせる名が、筆太にしたためた二尺大の表札の上に読まれる、大文司、仙元房、大注連、小菊、中雁丸、元祖|身禄宿坊、そういった名が、次ぎ次ぎに目をひく。
— 小島烏水 『不尽の高根』 青空文庫
京都方言では享保・宝暦頃には大体h音になっていたようであるが、元禄またはそれ以前に既にh音であったのではないかと思われるふしもある。
— 橋本進吉 『国語音韻の変遷』 青空文庫
殊に、関東においてはオ段長音の開合の別の失われ、またクヮ・グヮのカ・ガに変じた年代が京都語よりも早かったことは証があり、江戸においては、享保の頃に、明らかに鼻音のガ行音があり、また、ヒ音がシ音に近かったのである。
— 橋本進吉 『国語音韻の変遷』 青空文庫
しかし、これは江戸時代前半は相当に行われたので、ことに助詞「を」の場合には享保頃までもノと発音したようである。
— 橋本進吉 『国語音韻の変遷』 青空文庫
花の品甚だ夥きにや、享保の頃の人の数へ挙げたるのみにても六十八種あり。
— 幸田露伴 『花のいろ/\』 青空文庫
風速の強いときほど概してこの扇形の頂角が小さくなるのが普通で、極端な例として享保年間のある火事は麹町から発火して品川沖へまで焼け抜けたが、その焼失区域は横幅の平均わずかに一二町ぐらいで、まるで一直線の帯のような格好になっている。
— 寺田寅彦 『函館の大火について』 青空文庫
士分の者にはその例がない、町人でも享保以後わずかに二人に過ぎないという。
— 岡本綺堂 『拷問の話』 青空文庫
しかもそれが最も行われたのは享保以前のことで、その後はかたき討もよほど衰えた。
— 岡本綺堂 『かたき討雑感』 青空文庫