弘仁
こうにん
名詞
標準
Kōnin era (810.9.19-824.1.5)
文例 · 用例
ところが『延喜式』というものは、御承知の通り、もと『貞観式』というものがあってそれに改修を加えたもので、『貞観式』はまた『弘仁式』に基づいて出来たものであります。
— 橋本進吉 『古代国語の音韻に就いて』 青空文庫
その『弘仁式』は、嵯峨天皇の弘仁年間に出来たもので、今は亡びてしまいましたけれども、幸にその目録だけが遺っております。
— 橋本進吉 『古代国語の音韻に就いて』 青空文庫
『貞観式』には祝詞はなかったのですから、『延喜式』を作る時に、『弘仁式』にあった祝詞をその中に収めたのではないかと思います。
— 橋本進吉 『古代国語の音韻に就いて』 青空文庫
その万葉仮名において、かの特別の仮名の遣い分けが相当によく保たれているのは、平安朝の初、『弘仁式』を作る時に書いたものを、そのまま『延喜式』の中に入れたためではないかと考えております。
— 橋本進吉 『古代国語の音韻に就いて』 青空文庫
初恋の女のやうに夢中になつて弘仁朝の美女の研究に取付いた。
— 岡本かの子 『小町の芍薬』 青空文庫
天平神護二年六月には、大隅国神造新島、弘仁九年七月には、相模、武蔵、下総、常陸、上野、下野の諸国、天長七年一月には、出羽に地震があった。
— 田中貢太郎 『日本天変地異記』 青空文庫
(昭公二十八年) 攝陽群談一二に嵯峨の弘仁三年六月岩氏人柱に立つたと見え、卷八に其娘名は光照前、美容世に勝れて紅顏朝日を嘲けるばかり也とある。
— 南方熊楠 『人柱の話』 青空文庫
穆宗の長慶年間に元白の詩文集が出てから初めて有名になつたのであるが、此れは大師が日本へ歸つた後であつて、時は恰も弘仁の末頃であるから、嵯峨天皇の時には元白集は珍らしく、天皇が御覽になつた位のことで、一般には未だ行はれなかつたと云はねばならぬ。
— 内藤湖南 『平安朝時代の漢文學』 青空文庫