摩訶止観
まかしかん
名詞
標準
Mohe Zhiguan (Buddhist text by Guanding, 594 CE)
文例 · 用例
で、横川に増賀の聖が摩訶止観を説くに当って、寂心は就いて之を承けんとした。
— 幸田露伴 『連環記』 青空文庫
摩訶止観とか止観十|乗とかいって、観法というのはむずかしいものなんだ。
— 久生十蘭 『予言』 青空文庫
摩訶止観の中には、観のことを説いて、「山河も皆不浄也、くひものきもの又不浄也、飯は白き虫の如し、衣は臭き物の皮の如し」と云ってあるが、かの中間僧の観念のいみじさは、自然と聖教の文に合致しているのである。
— 谷崎潤一郎 『少将滋幹の母』 青空文庫
作例 · 標準
天台宗の根本経典である摩訶止観を読み解き、止観の瞑想法を実践する。
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摩訶止観の教えは、心の波を鎮めて真理を見極めるための具体的な指針を示している。
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仏教哲学の講義で、摩訶止観が日本文化に与えた影響についてレポートを書いた。
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ウィキペディア
摩訶止観(まかしかん)は、仏教の論書の1つで、止観(止はサマタ瞑想、観はヴィパッサナー瞑想。初期仏教の瞑想はこの2つから成る)についての解説書。10巻。594年に中国荊州(現在の湖北省)玉泉寺で天台智顗によって講義され、弟子の章安灌頂によってまとめられた。天台三大部の1つ。
出典: 摩訶止観 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0