執権
しっけん
名詞
標準
regent to the shogunate
文例 · 用例
日本の歴史の恐怖時代といふべき、平家の末路から、鎌倉の執権政治にかけて、悲壮なる運命劇は、何故か東海道の河畔で演ぜられたのが多い、承久の乱に鎌倉に囚はれて、東下りの路すがら、菊川の西岸に宿つて、末路の哀歌を障子に書きつけた中御門中納言宗行卿もさうである。
— 小島烏水 『天竜川』 青空文庫
して見ればこの人の薨去は文永四年で北条|時宗執権の頃であるから、その時分「げほう」と称する者があって、げほうといえば直に世人がどういうものだと解することが出来るほど一般に知られていたのである。
— 幸田露伴 『魔法修行者』 青空文庫
伝説に依ると、水内郡荻原に、伊藤|豊前守忠縄というものがあって、後堀河天皇の天福元年(四条天皇の元年で、北条|泰時執権の時)にこの山へ上って穀食を絶ち、何の神か不明だがその神意を受けて祈願を凝らしたとある。
— 幸田露伴 『魔法修行者』 青空文庫
下々の口さがない人たちは、やれ尼御台が専横の、執権相模守義時が陰険のと騒ぎ立ててゐた事もあつたやうでございますが、私たちの見たところでは、尼御台さまも相州さまも、それこそ竹を割つたやうなさつぱりした御気性のお方でした。
— 太宰治 『右大臣実朝』 青空文庫
その建暦二年の五月にも、執権相州さまの御次男朝時さま、このお方は色の白い、立派に御肥満の美男でございましたが、御兄君の修理亮泰時さまのあの御発明に似ず、どうも何事もあまりお出来にならないやうでございました。
— 太宰治 『右大臣実朝』 青空文庫
鎌倉時代の末、津軽に於いて安東氏一族の間に内訌あり、遂に蝦夷の騒乱となるに到つて、幕府の執権北条高時、将を遣はしてこれを鎮撫せしめたが、鎌倉武士の威力を以てしてこれに勝つ能はず、結局和談の儀を以て引き上げたとある。
— 太宰治 『津軽』 青空文庫
――スペインの前の執権、プリモ・ド・リヴェラは、正義振って遊楽地の賭博を禁止したのよ。
— 岡本かの子 『ドーヴィル物語』 青空文庫
世界呑吐の元の野望敢て挫かん鉄石の、この人ありや執権時宗、観ずれば明鏡止水のごとく、断じては山河ことごとく震ふとかや。
— 北原白秋 『新頌』 青空文庫
作例 · 標準
北条氏が執権として権力を握り、鎌倉幕府の実権を掌握した。
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後鳥羽上皇は、執権政治を終わらせようと試みた。
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彼は、将軍の幼少期を支える執権の重責を担った。
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ウィキペディア
執権(しっけん)は、鎌倉幕府の職名。鎌倉殿を助け、政務を統轄した。元来は政所の別当の中心となるものの呼称であった。
出典: 執権 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0