元文
げんぶん
名詞
標準
Genbun era (1736.4.28-1741.2.27)
文例 · 用例
此の戦国時代に起つた博奕は、太平の世になつても引続いて勇気の多い、事を好む徒輩の間に盛んに行はれて居たので、尤も元文(吉宗)になつて一度禁制はされたものゝ天明前後(家治)から又た盛んになり、所謂侠客は隠然として博徒の巨魁たる観を呈して居た。
— 幸田露伴 『侠客の種類』 青空文庫
五世弥五右衛門は鉄砲十挺頭まで勤めて、元文四年に病死した。
— 森鴎外 『興津弥五右衛門の遺書』 青空文庫
作右衛門の子|登は越中守|宣紀に任用せられ、役料共七百石を給わって、越中守|宗孝の代に用人を勤めていたが、元文三年に致仕した。
— 森鴎外 『興津弥五右衛門の遺書』 青空文庫
元文元年の秋、新七の船は、出羽国秋田から米を積んで出帆した。
— 森鴎外 『最後の一句』 青空文庫
元文ごろの徳川家の役人は、もとより「マルチリウム」という洋語も知らず、また当時の辞書には献身という訳語もなかったので、人間の精神に、老若男女の別なく、罪人太郎兵衛の娘に現われたような作用があることを、知らなかったのは無理もない。
— 森鴎外 『最後の一句』 青空文庫
次いで元文四年三月二日に、「京都において大嘗会御執行相成り候てより日限も相立たざる儀につき、太郎兵衛事、死罪御赦免仰せいだされ、大阪北、南組、天満の三|口御構の上追放」ということになった。
— 森鴎外 『最後の一句』 青空文庫
大嘗会というのは、貞享四年に東山天皇の盛儀があってから、桂屋太郎兵衛の事を書いた高札の立った元文三年十一月二十三日の直前、同じ月の十九日に五十一年目に、桜町天皇が挙行したもうまで、中絶していたのである。
— 森鴎外 『最後の一句』 青空文庫
元文元年の秋、新七の船は、出羽國秋田から米を積んで出帆した。
— 森鴎外 『最後の一句』 青空文庫
作例 · 標準
元文年間には、飢饉や疫病が頻発し、多くの人々が苦しんだ。
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この古文書は、元文三年に書かれたものだ。
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元文の改鋳によって、貨幣の品質が安定したと言われている。
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