弘和
こうわ
名詞
標準
Kōwa era (of the Southern Court; 1381.2.10-1384.4.28)
文例 · 用例
永和元年(天授元年)六月|後円融院が二条|為遠に撰集の勅命を下され、八月以後それに従事したが、六年後の永徳元年(弘和元年)八月二十七日為遠は五十歳で世を去ったので、十一月になって為重が仰せる蒙り、永徳三年(弘和三年)に一応完成した。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
撰者は宗良親王、弘和元年十二月三日長慶天皇の叡覧にそなえた。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
叡覧に供える前、弘和元年十月、勅撰集に擬せられる旨の綸旨を賜わった。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
間もなく天授三年|長谷で再び出家をとげられ、弘和元年『新葉集』を撰ばれた頃は河内国に住居された。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
弘和元年(『新葉集』の成った年)に生れ、両統合体の成ったのは十二歳の年、二十歳頃はすでに京に出ていた。
— 風巻景次郎 『中世の文学伝統』 青空文庫
――晩年、「新葉和歌集」を奏進しておられるので、弘和元年、七十一歳まで寿をたもっておられたことだけはたしかだが、おかくれになった土地さえよく分っていない。
— 黒白帖 『私本太平記』 青空文庫
」「いゝや、うら等両人で行こうわ。
— 黒島傳治 『老夫婦』 青空文庫
ところがその跡のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、おとこえしや、すてきに背の高いあざみの中で、二つにも三つにも分かれてしまって、どれがどれやらいっこうわからなくなってしまいました。
— 宮沢賢治 『風の又三郎』 青空文庫
作例 · 標準
弘和は南北朝時代の年号の一つで、南朝で用いられた。
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弘和年間には、地方で反乱が相次いだ。
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この古文書は、弘和三年と記されている。
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ウィキペディア
弘和 は、日本の南北朝時代の元号の一つ。南朝方で使用された。天授の後、元中の前。1381年から1384年までの期間を指す。この時代の天皇は、南朝方が長慶天皇・後亀山天皇、北朝方が後円融天皇・後小松天皇。室町幕府将軍は足利義満。
出典: 弘和 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0