海保
かいほ
名詞頻度ランク #39046 · 青空 75 例
標準
Japan Coast Guard
文例 · 用例
駕籠屋の話を聞くと、送り着けた先は品川の南番場で、海保寺という寺の門前……。
— 大森の鶏 『半七捕物帳』 青空文庫
あの鶏はやっぱり海保寺門前の桂庵の家で買ったということですから、鳥亀の女房が売ったに相違ありません」 八蔵は農家の伜であるが、家には兄弟が多いので、彼は農業の片手間に飼い鶏や家鴨などを売り歩いていた。
— 大森の鶏 『半七捕物帳』 青空文庫
去年の五月ごろ、彼は品川方面へ商売に出て、南番場の海保寺門前を通りかかると、桂庵の家から呼びかけられて、ひと番いの飼い鶏を買ってくれと云われた。
— 大森の鶏 『半七捕物帳』 青空文庫
目あての桂庵は海保寺の門前にあって、入口にむさし屋という暖簾が懸かっていた。
— 大森の鶏 『半七捕物帳』 青空文庫
墓誌銘は友人|海保漁村が撰んだ。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
亡くなる前にした遺言によれば、経を海保漁村に、医を多紀安琢に、書を小島成斎に学ばせるようにいってある。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
後に抽斎と交る人々の中、抽斎に先って生れた学者は、安積艮斎、小島成斎、岡本|况斎、海保漁村である。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
海保漁村の墓表に文久二年十月十八日に、六十七歳で歿したとしてあるから、抽斎の生れた文化二年には甫めて十歳である。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫