殷代
いんだい
名詞
標準
文例 · 用例
從來は禹貢の九州は禹の時代の制度であり、爾雅の九州は殷代の制度であり、職方氏の九州は周代の制度であると解釋して居つたが、この外に尚書に十二州といふものが出て居る。
— 内藤湖南 『禹貢製作の時代』 青空文庫
只詩の商頌に九有とか九圍とかいふことがあるので、殷代にも九州があつた證據として爾雅の九州に當て嵌めたにすぎない。
— 内藤湖南 『禹貢製作の時代』 青空文庫
梁州は今の四川、雲南地方であるが、殷代并びに周代の州名になかつた所のものが、それより古い禹貢に丈けあるといふことは一つの疑ふべきことである。
— 内藤湖南 『禹貢製作の時代』 青空文庫
而して此の筮法は殷代の巫の職の貴かりし時は別として、周代以後は龜卜の如く天子や諸侯などの貴族階級の人の用ゐるものではなく、寧ろ一段低い階級の間に占ひの方法として用ゐられてゐたのであらう。
— 内藤湖南 『易疑』 青空文庫
それ故筮の起原は或は遠き殷代の巫に在りとし、禮運に孔子が殷道を觀んと欲して宋に之て坤乾を得たりとあるのが、多少の據りどころがあるものとしても、それが今日の周易になるには、絶えず變化し、而かも文化の急激に發達した戰國時代に於て、最も多く變化を受けたものと考ふべきではあるまいか。
— 内藤湖南 『易疑』 青空文庫
近年に至って考古学的発掘事業が或る程度に行われはしたが、それによってすぐに殷代のものであることが帰結せられるかどうかは疑わしいし、またこの問題は考古学的調査によってのみきめられるものでもない。
— 津田左右吉 『日本に於ける支那学の使命』 青空文庫