韓地
かんち
名詞
標準
文例 · 用例
同じ『後漢書』東夷列伝に、辰韓は秦人(支那人)が馬韓より地を割き受けて立てた国で、〈牛馬に乗駕す〉と特書せるを見ると、当時韓地にも牛馬を用いぬ所があったので、千年ほど前出来た『寰宇記』に、琉球に羊と驢と馬なく、〈騎乗を知らず〉といえるもその頃そうであったのだ。
— 馬に関する民俗と伝説 『十二支考』 青空文庫
加羅國は當時韓地より皇國に至る要津なりければ、狗邪韓國を金海即ち加羅國と見たる那珂氏の説は、蓋し正鵠を失はざるべし。
— 白鳥庫吉 『倭女王卑彌呼考』 青空文庫
其れでも高句麗國は朝鮮民族中には最も早く國を成したので、當時三韓地方は未だ全く國を成さなかつた。
— 内藤湖南 『日本文化とは何ぞや(其一)』 青空文庫
その後、百済次第に勢力を得て、ついに馬韓地方を一統するに至ったので、晋のころには、馬韓諸国の中でも、最も有力なものであったに相違ない。
— 喜田貞吉 『石上神宮の神宝七枝刀』 青空文庫
これをいずれにしても、その出発点が沿海州方面であることは、漢魏時代の倭人の交通がシナ本土、もしくは楽浪・帯方の諸郡であり、銅鐸文化の秦人の渡来が、おそらく秦韓地方から行われたと推測さるるのに相対して、きわめて興味深き問題であらねばならぬ。
— 喜田貞吉 『奥羽北部の石器時代文化における古代シナ文化の影響について』 青空文庫
辟支山 古沙山 谷那鉄山 帯山 久礼山 荷山 居層山 怒受利之山 任叙利山などがそれであって、皆韓地の山である。
— 木暮理太郎 『マル及ムレについて』 青空文庫