黙阿
もく阿
名詞
標準
文例 · 用例
春秋座には歌舞伎の古典が歓迎されるだろうという兄さんの意見で、黙阿弥や逍遥、綺堂、また斎藤先生のものなど色々やってみたが、どうも左団次や羽左衛門の声色みたいになっていけない。
— 太宰治 『正義と微笑』 青空文庫
私は芝居で見る黙阿弥作の「蔦紅葉宇都谷峠」のあの文弥殺しの場面を憶い起して、婚約中の男女の初旅にしては主人はあまりに甘くない舞台を選んだものだと私は少し脅えながら主人のあとについて行った。
— 岡本かの子 『東海道五十三次』 青空文庫
それが近松や黙阿弥張りにおもしろくつづられていたものである。
— 寺田寅彦 『ジャーナリズム雑感』 青空文庫
明治初期を代表するような白シャツを着込んで、頭髪は多くは黙阿弥式にきれいに分けて帽子はかぶらず、そのかわりに白張りの蝙蝠傘をさしていた。
— 寺田寅彦 『物売りの声』 青空文庫
河竹にその縁故を問うたら、自分が黙阿弥の門人になったのは、豊芥子の紹介によったからだと答えたそうである。
— 森鴎外 『渋江抽斎』 青空文庫
作者河竹新七は後の黙阿弥で、所謂天地人に象つた作は「吾嬬下五十三次」である。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
鍋焼うどんが東京に入り込んで来たのは明治以後のことで、黙阿弥の「嶋鵆月白浪」は明治十四年の作であるが、その招魂社鳥居前の場で、堀の内まいりの男が夜そばを食いながら、以前とちがって夜鷹そばは売り手が少なくなって、その代りに鍋焼うどんが一年増しに多くなった、と話しているのを見ても知られる。
— 岡本綺堂 『綺堂むかし語り』 青空文庫
たとえば黙阿弥作の「十六夜清心」や「弁天小僧」のたぐい、江戸時代には唯一回しか上演されないにも拘らず、明治以後に至るまでその名は世間に知られていた。
— 岡本綺堂 『寄席と芝居と』 青空文庫