座唱
ざしょう
名詞
標準
文例 · 用例
於十座唱門者、衆中役々事、不能左右候。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
(『民族と歴史』第四巻第一号〈俗法師考の四〉=一九二〇年七月)6 芝辻の唱門と、その後裔、付十座唱門のこと『大乗院寺社雑事記』にしばしばその名の見える芝辻の唱門は、今も奈良市の西北隅に、その地名がそのままに存していて、明らかに往時の所在を示している。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
この芝辻の唱門は、おそらく興福寺所属の十座唱門なるものか、少くともいわゆる十座唱門の中の主なるものであったであろうと察せられる。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
とあるのも、この芝辻子が北方すなわち十座唱門であることを示した文といってよい。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
そして久世舞またいわゆる七道のものの一つたる白拍子の徒であるので、したがって彼ら唱門がこの福寺の勧進久世舞をも監督したのであるが、その監督者が五ヶ所・芝辻の※衆だとあってみれば、当然十座唱門がすなわち芝辻の唱門だとならねばならぬことと解すべきものであろう。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
十座唱門は興福寺所属の唱門の中でも、特に大和の国中数十箇所の唱門の座頭として、国中の下知ことごとくこの十座をもって触れしめることとなっていたのである(二巻七号三頁)。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
文明十年八月十一日宇治猿楽成敗の際にも、十一年八月十日以後の同じ問題についても、いつも事実上十座唱門のみがこれに関係しているのである。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
あるいは北里なるこの芝辻の唱門が、当時すでに徳川時代においてみるが如く、猿引・梓神子・傀儡師など、その他十箇の座に分かれていたので、これで十座唱門の名を得たのであったのかもしれぬ。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫