造士
ぞうし
名詞
標準
文例 · 用例
三十二年の夏頃、大阪の書肆文淵堂の主人で、俳名春草といふ金尾種次郎氏が、その頃大阪で『造士新聞』といふ文藝新聞を編輯發行してゐた私の友人平尾不孤氏を通じて、私の詩集を發行させてくれといつて來ました。
— 薄田泣菫 『詩集の後に』 青空文庫
平尾氏が早稲田の文科を卒業後、初めて見つけた勤め口は、大阪の造士新聞といふ小つぽけな週刊新聞でした。
— 薄田泣菫 『恋妻であり敵であつた』 青空文庫
造士新聞は今は大阪のある郊外電鉄の専務取締、その当時は弁護士の紀志嘉実氏が、貧しい青年学生を収容するために設けた造士寮の機関新聞でしたが、平尾氏は編輯するやうになつてからは、際だつて文藝の色が鮮やかに見られるやうになりました。
— 薄田泣菫 『恋妻であり敵であつた』 青空文庫
その造士寮には、今中山文化研究所で花形のS医学博士なども、大阪医専の学生としてゐられたやうでした。
— 薄田泣菫 『恋妻であり敵であつた』 青空文庫
それから、大崎村に薬園を作ったし、演武館、造士館、医学院、臨時館の設立、それによって、南国|片僻の鹿児島が、どんなに進歩したか?
— 直木三十五 『南国太平記』 青空文庫
古子姓を立てゝゐる、仲の兄進が、造士館高等学校の生徒で、まだ汽車の矢嶽を越えなかつた頃、薩摩領に入つたとある立て場で、馬車の窓から、折口と書いた茶屋の表札を見て来た話を聞いて、兄弟、若い心に名状の出来ぬ心強さと、不思議さとを感じ合うたことであつた。
— 折口信夫 『折口といふ名字』 青空文庫
小中学校さえもない土地へ行くのである為め長兄は鹿児島の造士館へ、次兄は今迄通り沖縄の中学へ残して出立する事になった。
— 杉田久女 『梟啼く』 青空文庫
「造士館」とか「健児の社」というのは昔聞いたことがあるが「百姓道場」は全く独創的だ。
— 戸坂潤 『社会時評』 青空文庫