寛喜
かんぎ異読 かんき
名詞
標準
Kangi era (1229.3.5-1232.4.2)
文例 · 用例
あるいは寛喜、貞永とつづいて飢饉が起こって百姓途上にたおれ、大風洪水が鎌倉地方に起こって人畜を損じ、奥州には隕石が雨のごとく落ち、美濃には盛夏に大雪降り、あるいは鎌倉の殿中に怪鳥集まるといった状況であった。
— ――予言僧日蓮―― 『学生と先哲』 青空文庫
寛喜年間の大飢饉のときなどは、社會的例外だが、一般の盜癖性が、どんな形で現はれたかを知るにはよい史料といへるであらう。
— 吉川英治 『折々の記』 青空文庫
前者は、史上にみえる寛喜年間のやうな長い天變地異のつゞいた季狂期をさして。
— 吉川英治 『折々の記』 青空文庫
寛喜年間の常冬といふのはいつたいどんな世の中だつたのかといふに、これは歌のみちで名だかい藤原定家の日誌の『明月記』と五位ノ藏人經光の日記の『民經記』とにもつぱらくはしく書かれてゐる。
— 吉川英治 『折々の記』 青空文庫
けれどこのごろ稀々、定家の晩年を知りたいため『明月記』を見てゐるうちに、隨所に寛喜の世相と今日この頃の世間とがおもひ合はされ、以前は何氣なく讀み過ぎた寸行の記事にも、今日では心大いにおどろくものを抱かせられた。
— 吉川英治 『折々の記』 青空文庫
寛喜元年は、その頃にあたる。
— 吉川英治 『折々の記』 青空文庫
そのほか季節の狂ひから地上にはろくなことはなく、明けて寛喜三年になつたら、いくら何でもこんな惡歳はやむだらうとおもつてゐると、依然春へかけての霖雨はやまず、また八、九月には大暴風雨があつて、京都では加茂川の大はんらんが起り、全國の河川田畑の損亡は耳目もこれを知りつくし得ないとまで嘆じてゐる。
— 吉川英治 『折々の記』 青空文庫
現におたがひのあひだでは、寛喜の常冬とはまつたく事態はちがふものゝ、わすれてゐた自分たちの血の中に、その時とひとしい恐るべき素質をもつてゐたことが眼の前の社會相にてらしてみても思ひ當らうではないか。
— 吉川英治 『折々の記』 青空文庫
作例 · 標準
寛喜三年の記録によると、その年の夏は深刻な水不足に陥り、田畑はことごとく枯れ果てたという。
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郷土史の資料をめくっていると、寛喜年間に建立されたとされる古い石碑の記述がふと目に留まった。
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「この仏像の背中を見てごらん。薄らとだが寛喜元年の刻印があるのがわかるだろう?」
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ウィキペディア
寛喜 は、日本の元号の一つ。安貞の後、貞永の前。1229年から1232年までの期間を指す。この時代の天皇は後堀河天皇。鎌倉幕府将軍は藤原頼経、執権は北条泰時。
出典: 寛喜 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0