霊帝
れいてい
名詞
標準
文例 · 用例
丹波|康頼は後漢の霊帝十三世の孫である。
— 森鴎外 『伊沢蘭軒』 青空文庫
隋の霊帝の弟がこの地へ渡って、さらに一派が三浦半島に移り棲んだという記録も彼は読んだことがある。
— 横光利一 『旅愁』 青空文庫
いわく、ある説にいう人皇十二代景行天皇六十年十月、帝御悩ありて甚だし、ある者は諸寺諸山に祈祷あり医術を尽くすといえどもさらにそのしるしなし、ここに一覚といえる占い者があって彼を召して卜筮をなさしむるにいう、これより東にあたりて大木あり、その木の精霊帝を悩まし奉る。
— 佐々木喜善 『東奥異聞』 青空文庫
蜀山人の『一話一言』にある「鶴郡鶴羽記」と題する文は鶴郡属峡中 乃在富岳之北、当初人王第七世、孝霊帝七十二年、秦始皇遣徐福、発童男女数十人、入海求仙、其処謂蓬莱者蓋吾富士岳是也。
— 木暮理太郎 『マル及ムレについて』 青空文庫
けれど史中の人物を巧妙自在に拉して活躍させ、後漢の第十二代霊帝の代(わが朝の成務天皇の御世、西暦百六十八年頃)から、武帝が呉を亡ぼす太康元年までのおよそ百十二年間の長期にわたる治乱が書いてある。
— 序 『三国志』 青空文庫
なにしろ、黄河の上流、洛陽の都には今、後漢の第十二代の帝王、霊帝の居城があるし、珍しい物産や、文化の粋は、ほとんどそこでつくられ、そこから全支那へ行きわたるのである。
— 桃園の巻 『三国志』 青空文庫
十一代の帝、桓帝が逝いて、十二代の帝位についた霊帝は、まだ十二、三歳の幼少であるし、輔佐の重臣は、幼帝をあざむき合い、朝綱を猥りにし、佞智の者が勢いを得て、真実のある人材は、みな野に追われてしまうという状態であった。
— 桃園の巻 『三国志』 青空文庫
こんなことでは、後漢の霊帝の御世も、おそらく長くはあるまい。
— 桃園の巻 『三国志』 青空文庫
ウィキペディア曖昧さ回避
霊帝(れいてい)は、東アジアにおける皇帝の諡の一つである。 『逸周書』諡法解第五十四によると、「乱れはしたが国を滅ぼすほどではなかった」の意味とされ、一般には最悪ではないにしろ、無道の君主に贈られるものとされる。 日本の孝霊天皇 (大日本根子彦太瓊尊、在位紀元前290年 - 紀元前215年) 後漢の孝霊皇帝 (劉宏、在位167年 - 189年) 後涼の霊帝(呂纂、在位399年 - 401年) 莫朝大越の代宗霊皇帝(莫敬恭、在位1593年 - 1621年)
関連項目
出典: 霊帝 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0