天平勝宝
てんぴょうしょうほう
名詞
標準
Tenpyō-shōhō era (749.7.2-757.8.18)
文例 · 用例
さらに案内記を調べると、今より一千一百余年前の天平勝宝年間に満巻上人という高僧が箱根権現の社に留まっていた。
— 岡本綺堂 『綺堂むかし語り』 青空文庫
処が、天平勝宝七年になつて、新しい東歌とも言ふべきものが蒐集せられた。
— 折口信夫 『万葉集のなり立ち』 青空文庫
四二六〇の歌が人麿の歌より前だとすると、人麿に影響したとも取れるが、この歌をはじめて聞いたのは、天平勝宝四年二月二日だとことわってあるから、その辺の事情は好く分からない。
— 斎藤茂吉 『万葉秀歌』 青空文庫
厚見王は続紀に、天平勝宝元年に従五位下を授けられ、天平宝字元年に従五位上を授けられたことが記されている。
— 斎藤茂吉 『万葉秀歌』 青空文庫
書持の兄、家持が天平勝宝二年に作った歌に、「夜くだちに寝覚めて居れば河瀬尋め情もしぬに鳴く千鳥かも」(巻十九・四一四六)というのがある。
— 斎藤茂吉 『万葉秀歌』 青空文庫
○雪の上に照れる月夜に梅の花折りて贈らむ愛しき児もがも 〔巻十八・四一三四〕 大伴家持 天平勝宝元年十二月、大伴家持の作ったもので、越中の雪国にいるから、「雪の上に照れる月夜に」の句が出来るので、こういう歌句の人麿の歌にも無いのは、人麿はこういう実際を余り見なかったせいもあるだろう。
— 斎藤茂吉 『万葉秀歌』 青空文庫
巻第十九 ○春の苑くれなゐにほふ桃の花した照る道に出で立つ※嬬 〔巻十九・四一三九〕 大伴家持 大伴家持が、天平勝宝二年三月一日の暮に、春苑の桃李花を見て此歌を作った。
— 斎藤茂吉 『万葉秀歌』 青空文庫
○春まけて物がなしきにさ夜更けて羽ぶき鳴く鴫誰が田にか住む 〔巻十九・四一四一〕 大伴家持 天平勝宝二年三月一日、大伴家持が、「飜び翔る鴫を見て」作った歌である。
— 斎藤茂吉 『万葉秀歌』 青空文庫
作例 · 標準
正倉院宝物の多くは、天平勝宝年間に納められたものだ。
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天平勝宝の時代には、遣唐使が派遣され、大陸文化が盛んに導入された。
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この時代の仏教美術は、天平勝宝様式と呼ばれ、その美しさが特徴だ。
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