傅
めのと異読 ふ
名詞
標準
instructor
文例 · 用例
念の為め主人と私の関係を話して置くと、私の父は幼時に維新の匆騒を越えて来たアマチュアの有職故実家であったが、斯道に熱心で、研究の手傅けのため一人娘の私に絵画を習わせた。
— 岡本かの子 『東海道五十三次』 青空文庫
そこには殉情的な要求から來た自己陶醉に似た曖昧な描寫がないではないけれども、その觀察の綿密で、而して傅習的でない點に於て、彼女の末期の作品に見られる骨組みの堅固さを見せてゐる。
— 有島武郎 『水野仙子氏の作品について』 青空文庫
彼は其の惱を以て祖先の遺傅から來た熱病の一種と考へ、自ら意志を強くして其のバチルスを殲滅しようと勤めて而して※いてゐた。
— 三島霜川 『解剖室』 青空文庫
燕王の傅に、僧|道衍あり。
— 幸田露伴 『運命』 青空文庫
洪武二十八年、初めて諸王の封国に就く時、道衍|躬ずから薦めて燕王の傅とならんとし、謂って曰く、大王臣をして侍するを得せしめたまわば、一白帽を奉りて大王がために戴かしめんと。
— 幸田露伴 『運命』 青空文庫
孝孺の学徳|漸く高くして、太祖の第十一子|蜀王椿、孝孺を聘して世子の傅となし、尊ぶに殊礼を以てす。
— 幸田露伴 『運命』 青空文庫
幸にそれは劇毒で、政宗の毒味番が毒に中って苦悶即死したから事|露われて、政宗は無事であったが、其為に政宗は手ずから小次郎季氏を斬り、小次郎の傅の小原縫殿助を誅し、同じく誅されそこなった傅の粟野藤八郎は逃げ、目上の人即ち政宗の母は其実家たる最上義光の山形へ出奔ったという事がある。
— 幸田露伴 『蒲生氏郷』 青空文庫
もとより事実を陰蔽して白粉を傅けた談をするが如きことは敢てし無かつたらう。
— 幸田露伴 『平将門』 青空文庫
作例 · 標準
若君の傅(めのと)として選ばれた彼は、幼少期から学問と武術を厳しく、かつ愛情深く教えた。
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高貴な家の子供を育てる傅の責任は極めて重く、時には自らの命をかけて主を守ることもあった。
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彼女は幼い頃から献身的な傅に育てられたおかげで、凛とした気品のある女性へと成長した。
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ウィキペディア曖昧さ回避
傅(ふ)とは 教育者、子供のおもり役。日本では男性であっても「めのと」とも呼ばれた。 太傅(たいふ)- 天子の教育者。 東宮傅(とうぐうのふ)- 律令制における皇太子の教育官。単に傅ともいう。 傅 (姓) - 漢姓のひとつ。
関連項目
- 伝 — 旧字体で「傳」と書くが、しばしば「傅」とまちがえられる。
出典: 傅 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0