於義
於義
名詞
標準
文例 · 用例
三十六|歳で右近衛権少将にせられた家康の一門はますます栄えて、嫡子二郎三郎信康が二十一歳になり、二男|於義丸(秀康)が五歳になった時、世にいう築山殿事件が起こって、信康はむざんにも信長の嫌疑のために生害した。
— 森鴎外 『佐橋甚五郎』 青空文庫
於義也嘉茂慧(尚真)。
— 折口信夫 『日琉語族論』 青空文庫
尚円は思徳金であり、尚真は真加戸樽金で、「思」は見えぬやうだが、神号|於義也嘉茂慧(又は、おきやかもい)が「思」の存在を示してゐる。
— 折口信夫 『日琉語族論』 青空文庫
「家康(中略)、おのが庶子|於義丸を遣し、石川数正が子の勝千代と、作左衛門が子の仙千代とを附添へて都に登しぬ。
— 芥川龍之介 『大久保湖州』 青空文庫
)於義丸は即ち黄門秀康の幼称にして、家婢お万の生む所、家康之を愛して孕みしかば、嫉妬深き築山夫人の怨を避けて、本多豊後守広孝が家老本多半左衛門が許に忍びしを、作左衛門密かに家康に訴へて之を営救せしなりとぞ。
— 芥川龍之介 『大久保湖州』 青空文庫
(中略)「さる程に(中略)徳川の家中にては、弥増す敵意と猜念とをもて、上方の空を眺めつつ、変心測られぬ秀吉、いつ攻め来んも知り難しと、衆情枕をさへ安んぜざりし折柄、とりどりの流言伝はり、中にも秀吉於義丸等を殺すべしとの風聞は、痛く一家の人心をぞ刺しにける。
— 芥川龍之介 『大久保湖州』 青空文庫
家康も於義丸は兎も角、仙千代招還せんことは作左が老情を酌みて、喜びて許ししなるべく、母が大病とは円滑に聞こえて、否み難き好辞柄なりけり。
— 芥川龍之介 『大久保湖州』 青空文庫
まんまと秀吉の涙に瞞着された信雄が家康を説いて、天下の平和のためです、秀吉の受売りをして、御子息於義丸を秀吉の養子にくれて和睦しては、と使者をやると、家康は考へもせず、アヽ、よからう、天下の為です。
— 坂口安吾 『二流の人』 青空文庫