東京美術学校
とうきょうびじゅつがっこう
名詞
標準
Tokyo School of Fine Arts
文例 · 用例
仲間、――馬場が彼の親類筋にあたる佐竹六郎という東京美術学校の生徒をまず私に紹介して呉れる段取りとなった。
— 太宰治 『ダス・ゲマイネ』 青空文庫
○…もつとも明治三十一年に当時の東京美術学校々長岡倉覚三氏と日本美術院を創設したり、大観の過去の画業を系列的にみると、なかなか俗にいふ世の中につくし、画壇につくしてゐる、大観に活を入れてもらつて、蘇生した画家がそこいら辺りに居さうな気がするがどうだらう。
— 美術論・画論 『小熊秀雄全集−19−』 青空文庫
」高い塔2・4(夕) 東京美術学校で西洋美術史を受持つてゐる森田亀之助といふ人がゐる。
— 大正六(一九一七)年 『茶話』 青空文庫
お雇いというのであったが、東京美術学校雇いを命ずという辞令を受けたのが明治二十二年三月十二日で、月俸三十五円給すということでありました。
— 学校へ奉職した前後のはなし 『幕末維新懐古談』 青空文庫
これは私がもはや浪人しておらんからで、東京美術学校へ奉職して、どうやら米櫃には心配がなくなったからであります。
— 谷中時代の弟子のこと 『幕末維新懐古談』 青空文庫
(六月十五日)三十五○鳥づくしといふわけではないが、昨今見聞した鳥の話をあげて見ると、一、この頃東京美術学校で三間ほどの大きさの鳶を鋳たさうな、これは記念の碑として仙台に建てるのであるさうながこれ位な大きなフキ物は珍しいと言ふ事である。
— 正岡子規 『病牀六尺』 青空文庫
そしておのが手で守りたててきた東京美術学校を去って橋本雅邦その他の同志と日本美術院を創立したのは明治三十一年(一八九八)の夏、兄の三十七歳の時のことである。
— はしがき 『茶の本』 青空文庫
この法服の制定せられた頃の東京美術学校の教授服もまた同じく黒川博士の考案に依って作られたもので、且つその体裁は極めて法服に似寄っておった。
— 穂積陳重 『法窓夜話』 青空文庫
作例 · 標準
東京美術学校は、多くの著名な芸術家を輩出した。
幻辭AI · gemini-2.5-flash
昔、東京美術学校で油絵を学んでいた祖母から絵の具をもらった。
幻辭AI · gemini-2.5-flash
東京美術学校の歴史に関する展示会が開催されている。
幻辭AI · gemini-2.5-flash