崇仏
すうぶつ
名詞
標準
文例 · 用例
武道も大事だが敬神崇仏の念もなほざりにせぬやうとの、いましめのお心からおつしやつたのかも知れません。
— 太宰治 『右大臣実朝』 青空文庫
まことにこの京都の御所に対し奉る御赤心と、それから敬神崇仏のお心の深さは、その御一生をつらぬいて不変のもののやうでございました。
— 太宰治 『右大臣実朝』 青空文庫
是より先、欽明天皇の御代に伝へられた仏教に就いて、崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏、中臣氏との間に凄じい争闘が展開した*。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
が、聖徳太子の仏教御信仰は、崇仏派の勝利を決定的にし、以後仏教は、広くわが国土に流布し、わが国民文化の発達に、精神的にも、物質的にも、多大の寄与をしたのである。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
朝臣の内、物部氏・中臣氏は排仏を主張し、蘇我氏は崇仏を主張した。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
それでも崇仏の功徳は著しいもので、此の沙弥の書写した法華経は、神護景雲三年の火事にあつても、猛火中にあつて焼けなかつた。
— 喜田貞吉 『俗法師考』 青空文庫
尤も崇仏と政治謀略は別であったことは、馬子以来の伝統かもしれない。
— 亀井勝一郎 『大和古寺風物誌』 青空文庫
続日本紀巻二十二(淳仁天皇紀)には、天平宝字四年六月、皇后崩ぜられし時の追悼の記がみられるが、「幼而聡慧、早播声誉、勝宝感神、聖武皇帝、儲弐之日、納以為妃、時年十六、摂引衆御、皆尽其歓、雅閖礼訓、敦崇仏道」としるされている。
— 亀井勝一郎 『大和古寺風物誌』 青空文庫