評定衆
ひょうじょうしゅう
名詞
標準
文例 · 用例
親房の子顕家、鎮守府将軍となりて陸奥に至りし時、親朝は評定衆、兼引付頭人となりて国政に参与したり。
— 大町桂月 『秋の筑波山』 青空文庫
その後ちは、酒井|雅楽頭、酒井讃岐守、並に老中の邸で会議を開いたのであったが、寛永十二年十一月十日に評定衆の任命があり、同じ年の十二月二日からは評定所で会議を開き、それより毎月二日、十二日、二十二日をもって評議の式日と定めた。
— 穂積陳重 『法窓夜話』 青空文庫
左右に居流れたは検断所の司、評定衆、問注所の司、引付衆、越訴奉行、祗候人の人々で、同じくいずれも武装していた。
— 国枝史郎 『あさひの鎧』 青空文庫
「柳営より諸役人へ賜わるお料理、老中、若年寄はお湯漬けにてよろしく、お側衆、評定衆の面々は、一汁一菜香のものにて結構と、田沼様おきめ遊ばされました際に、お城坊主が作りました、勤倹令嘲笑の不届きの落首で」「その通りじゃ、それがどうした?
— 国枝史郎 『血煙天明陣』 青空文庫
幕府もこの事件を重大視して、その處置に就いて、想像以上の大なる苦心を拂ひ、評定衆を始め、各方面の意見を徴したが、その中で尤も有力であつたのは、林大學頭信篤と新井白石との意見であつた。
— 桑原隲藏 『支那の孝道殊に法律上より觀たる支那の孝道』 青空文庫
郷土史家Nさんの説によれば「小田原評定」とは、とかく香ばしくない意味にとられがちだが、それもいわれのないことではないが、むしろ、これは、小田原の北条氏が鎌倉の北条氏よりも一層民主的な政治を行うために、下級武士をも含む代議制の評定衆なるものを設けたことに、もつと重要な意味があるのだそうだ。
— ――年頭雑感―― 『時 処 人』 青空文庫
六波羅の評定衆波多野義重が請うままに、四十四の歳の夏越前|吉峰の古精舎に移り、翌年の七月に大仏寺(すなわち永平寺)を開いた。
— 和辻哲郎 『日本精神史研究』 青空文庫
彼の伯父なる人とは、六波羅評定衆の一員、上杉|兵庫頭憲房である。
— あしかが帖 『私本太平記』 青空文庫
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評定衆(ひょうじょうしゅう)とは、鎌倉・室町時代に置かれた役職のひとつである。鎌倉時代においては幕府の最高政務機関であり、行政・司法・立法のすべてを行う最高機関だった。
出典: 評定衆 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0