給田
きゅうでん
名詞
標準
文例 · 用例
今日は粕谷か、明日は廻沢烏山は何日で、給田が何日、船橋では、上下祖師ヶ谷では、八幡山では、隣村の北沢では、と皆が指折数えて浮き立つ。
— 徳冨健次郎 『みみずのたはこと』 青空文庫
其死を目撃した人の話に、デカは昨日甲州街道の給田に遊びに往って、夕方玉川から帰る自動車目がけて吠え付いた。
— 徳冨健次郎 『みみずのたはこと』 青空文庫
下 今日余は女児と三疋の犬とを連れて、柿を給田に買うべく出かけた。
— 徳冨健次郎 『みみずのたはこと』 青空文庫
彼が眼玉を抜き棄てて日向に行き、神に仕えていたと称していろいろの口碑を存し、一方には座頭の給田がもと日向にあったといっている類の伝説は、誤解もしくは仮構にせよ、何か隠れたる事情がなくては、唐突に発生しようはなかったのである。
— 柳田国男 『雪国の春』 青空文庫
空で覚えている一二の実例をいうと、公文すなわち荘園時代の書記役の給田の地を、公文給と呼んでいるのは古い名残であるのに、それを今「九文久」と書いている処がある。
— 柳田國男 『地名の研究』 青空文庫
九文給あるいは雲久などと、その昔の給田の地名となって残っている例があるが、いわゆる名主・庄屋の元の形を示す名称として存するのは珍しい。
— 柳田國男 『地名の研究』 青空文庫
丸は雑色などの名に常に用いられる語であれば、京丸という地は多分は京往きの夫役を、世襲的に勤めていた者の屋敷給田の地であろう。
— 柳田國男 『地名の研究』 青空文庫
ウィキペディア
給田(きゅうでん)・給畠(きゅうはく)・給田畠(きゅうでんぱく)は、日本の中世において、荘園領主や国衙が、荘官、地頭、年貢運輸者・手工業者などに対して給与した田地または田畠地をいう。近世においては、庄屋などの村役人へ給与された田地を給田と呼んだ。
出典: 給田 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0