応徳
おうとく
名詞
標準
Ōtoku era (1084.2.7-1087.4.7)
文例 · 用例
白河天皇も、又英明の御資質で、藤原氏の権勢など顧慮せらるゝことなく、万機を決し給うてゐたが、応徳三年、御位を堀河天皇に譲り給うた後、院庁を開いて、おん自から、万機を総攬し給ひ、次の鳥羽天皇、崇徳天皇まで御三代の間は、白河上皇の院政が続いたのである。
— 菊池寛 『二千六百年史抄』 青空文庫
流行神の例としては、応徳二年の福徳神、天慶八年の志多羅神など、ことにいちじるしいもので、ともに京都で大騒ぎを演じたものであった。
— 喜田貞吉 『オシラ神に関する二三の臆説』 青空文庫
……だから世間の知識にもおうとく、言葉も鄙び、礼儀作法とか交際事にもとんとお晦いが――そうした母にも、そなたは嫁女として、心から侍いてくれるか。
— 第二分冊 『新書太閤記』 青空文庫
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応徳(おうとく、 は、日本の元号の一つ。永保の後、寛治の前。1084年から1087年までの期間を指す。この時代の天皇は白河天皇、堀河天皇。
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