鎮台
ちんだい
名詞
標準
garrison (in Meiji era)
文例 · 用例
自分の五歳の頃から五年ほどの間熊本|鎮台に赴任したきり一度も帰らなかった父の留守の淋しさ、おそらくその当時は自覚しなかった淋しさが、不思議にもこの燈下の寒竹の記憶と共に、はっきりした意識となって甦って来るのである。
— 寺田寅彦 『郷土的味覚』 青空文庫
陸軍少将に任ぜられ、東京鎮台司令官に補せられさせ給ふ。
— 森鴎外 『能久親王年譜』 青空文庫
そのうちに福岡にも鎮台が設けられて、町人百姓に洋服を着せた兵隊が雲集し、チャルメラじみた喇叭を鳴らして干鰯の行列じみた調練が始まった。
— 夢野久作 『近世快人伝』 青空文庫
その頃、士族の下ッ端連の成れの果は皆、警官(邏卒、部長、警部等)に採用されていたものであったが、この羅卒(今の巡査)連中が皆鎮台兵と反りが合わなかった。
— 夢野久作 『近世快人伝』 青空文庫
とりあえず福岡鎮台をタタキ潰せば良えのでしょう。
— 夢野久作 『近世快人伝』 青空文庫
かくして武部小四郎の乱、宮崎車之助の乱等が相次いで起り、相次いで潰滅し去った訳であるが、後から伝えられているところに依ると、これ等の諸先輩の挙兵が皆、鎮台と、警察に先手を打たれて一敗地に塗れた原因は、皆奈良原少年の失策に起因していた。
— 夢野久作 『近世快人伝』 青空文庫
陸軍中将山県有朋は、陛下に供奉して西下して居たが、西南の急変を知るや、直ちに奏して東京大阪広島の各鎮台兵に出動を命じた。
— 菊池寛 『田原坂合戦』 青空文庫
明治十年二月十五日陸軍大将 西郷 隆盛 熊本鎮台司令長官 陸軍に於ける上官として命令しようと云うのであるから、子供だましのようなものである。
— 菊池寛 『田原坂合戦』 青空文庫
作例 · 標準
明治初期、各地に鎮台が設置されて軍備の近代化が進められた。
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東京鎮台の兵士たちが、規律正しく行進する様子を市民が見守っている。
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旧陸軍の歴史を調べる中で、鎮台が果たした役割の大きさを知った。
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ウィキペディア
鎮台 は、1868年(慶応4年1月)から戊辰戦争の経過によって新政府が大和、大坂、兵庫、佐渡の地方に鎮撫総督として置いたもので、鎮台は内国事務総督が督すとしていた。大和鎮台は翌月に廃止され大和鎮撫総督に、また大坂鎮台・兵庫鎮台なども裁判所と改められた。 1868年(慶応4年5月)の上野戦争の後、新政府が既に設置していた江戸府とは別に江戸に置いたもの。同年7月8日(5月19日)に東征大総督の有栖川宮熾仁親王を江戸鎮台とし、翌日にその役所を江戸城西の丸に設けてこれを鎮台府(ちんだいふ)と称し、駿河以東13か国を管轄した。同年(7月)に鎮将府(ちんしょうふ)と改称された。これが鎮台の権輿になる。 1871年(明治4年)から1888年(明治21年)まで置かれた日本陸軍の編成単位である。常設されるものとしては最大の部隊単位であった。兵制としては御親兵の後を継ぐもので、鎮台の設置とその後の徴兵制実施をもって日本の近代陸軍の始まりとする。師団への改組で廃止された。本項では主にこの鎮台について記述する。
出典: 鎮台 — ウィキペディア / CC BY-SA 4.0