粛親
しゅくおや
名詞
標準
文例 · 用例
満洲朝滅亡後北京の舞台を去って帰朝し、近年浅間の山荘に雌伏して静かに形勢を観望しているが、川島の名は粛親王の姻親として復辟派の日本人の巨頭として嵎を負うの虎の如くに今でも恐れられておる。
— 内田魯庵 『二葉亭四迷の一生』 青空文庫
団匪事件の時、陸軍通訳として招集され、従軍中しばしば清廷の宗室大官と親近する中に計らずも粛親王の知遇を得たのが青雲の機縁となった。
— 内田魯庵 『二葉亭四迷の一生』 青空文庫
事件落着後清廷が目覚めて改革を行わんとするや、川島は粛親王府に厚聘されて警務学堂を創設し、毎期四百名の学生を養うて清国警察を補充し、啻に学堂教務を統ぶるのみならず学堂出身者の任命の詮衡及び進退|黜陟等総てを委任するという重い権限で監督に任じた。
— 内田魯庵 『二葉亭四迷の一生』 青空文庫
随ってこれを統率する川島の威権は我が警視総監以上であって、粛親王を背後の力として声威隆々中外を圧する勢いであった。
— 内田魯庵 『二葉亭四迷の一生』 青空文庫
その當時守備に就いた日本人は、さきの柴中佐等二三の將校と、廿四名の陸戰隊員と三十名足らずの義勇兵とそれだけで、しかも守備したのは交民巷にあつて防禦上尤も重要と認められて居た肅親王府であつた。
— 狩野直喜 『服部先生の思出』 青空文庫
結局現在の帝國大使館と伊太利大使館を合せたものが肅親王府であつて、伊太利大使館内にも我等の陸戰隊が血を流した處がある筈だ。
— 狩野直喜 『服部先生の思出』 青空文庫